平成14年9月12日

竜の口法難会(御難会)
上野殿御返事(新編御書一三六〇)
上野殿御返事

いまをもひいでたる事あり。子を思ふ故にや、をやつきの木の弓をもて、学文せざりし子にをしへたり。然る間此の子うたてかりしは父、にくかりしはつきの木の弓。
 されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、立ち還って見れば、つきの木をもて我をうちし故なり。此の子そとばに此の木をつくり、父の供養のためにたて、てむけりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか。
 日蓮仏果をえむに争でかせうばうが恩をすつべきや。何に況んや法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。
通解

 今思い出したことがあります。それは延暦寺第十世・延昌(883〜967)のことです。子供のことを思うゆえに、父親は勉強をしない延昌を、槻の木で作った弓で打ち、勉学に励むように教え戒めました。ところが、親の気持ちが分からない延昌は、弓で打った父親が憎くてなりません。また、槻の木で作った弓も同じように憎くてしょうがありませんでした。
 しかしながら、このことがあった後、延昌は学問に励み、ついには天台の座主にまで昇りつめました。そして、今度は人々を教え導く立場となりました。その時、過去を振り返り、今の自分があるのは、父のお陰であり、あのときに父が槻の木で作った弓で打って教え戒めてくれたからである、と深く感謝の念が湧いてきました。そこで延昌は、槻の木で作った塔婆に、亡き父の名を認めて追善供養に励みました。日蓮もこの話を思い出し、恩ある人に対しては報恩の誠を尽くすべきであると思っております。
 爾前の教えでもこのように恩を報じた例があります。このように考えるならば、日蓮が仏の果報を得ることができたのも、少輔房のお陰であり、少輔房の恩を捨て置いてはならないと思っております。さらに、少輔房が第五の巻を杖として日蓮を打ちましたが、その第一の原因は「法華折伏・破権門理」を実践したからに他なりません。そのように考えると、法華経のご恩を忘れることはできません。このように思い続けておりますと、有り難さに感謝の涙は止まることがありません。
 この場面は、日蓮大聖人様が、竜の口に至る前段階にあたります。つまり、文永八年(一二七一年)九月十二日、平左衛門尉頼綱の命を受けた幕府の役人が、大聖人様を逮捕するために、数百人の武装した兵士を率いて、松葉ヶ谷の草庵に押し寄せた時の状況を述べておられるところです。

 そもそも「竜の口の法難」は日蓮大聖人様の御身にあたってはどのように位置づけられているのでしょうか。

 この御書の冒頭には、
 「抑日蓮種々の大難の中には、竜の口の頚の座と東条の難にはすぎず。其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。或はのり、せめ、或は処をおわれ、無実を云ひつけられ、或は面をうたれしなどは物のかずならず。されば色心の二法よりをこりてそしられたる者は、日本国の中には日蓮一人なり。ただし、ありとも法華経の故にはあらじ。さてもさてもわすれざる事は、せうぼうが法華経の第五の巻を取りて日蓮がつらをうちし事」
とございます。

 意は、「多くの大難の中でも、竜の口で首を切られた時と、小松原の剣難にすぎるものはありません。何故ならば、命を失う程の大難であったからです。罵られたり、追放になったり、無実の罪をきせられたり、顔を打たれることなどは二度の大難から比べれば、物の数ではありません。肉体的面と、精神的面の両方から迫害を受けたのは日本においては日蓮ただ一人です。たとえ迫害を受けたというものがあったとしても、法華経の上からではありません。その時に忘れられないことがありました。それは、少輔房が法華経の第五の巻で日蓮の顔を打ったことです」大聖人様が懐にされていた法華経第五の巻をもって大聖人の顔を、打ったのです。この法華経第五の巻というのが大きな意味を持ちます。それは、末法に法華経を弘通すと、必ず三類の強敵が競い起こり、刀で切られたり、杖で打たれたりすると言う難に遭うと説かれる、『勧持品』第十三が納められているのです。不思議にも、大聖人様はその第五の巻で、顔を打たれたのです。

 そこで、大聖人様は、
 「杖の難には、すでにせうばうにつらをうたれしかども、第五の巻をもてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云ふ経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり。さればせうばうに、日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なればうたてかりける間、つえをもうばひ、ちからあるならば、ふみをりすつべきことぞかし。然れどもつえは法華経の五の巻にてまします」(新編一三六〇頁)
と、仰せになっております。

『妙密上人御消息』には
 「法華経の第五の巻をもて日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思はず、うれしくぞ侍りし。不軽品の如く身を責め、勧持品の如く身に当たって貴し貴し」(新編九六九頁)

とまで仰せになられ、法華経の第五の巻にて打たれたことを「うれしくぞ侍り」とも「貴し貴し」とも仰せになる御境界を私たち末代の弟子檀那に教えて下さいます。

 ここで大聖人様が「恩をすつべきや」と仰せられ、自らの顔を打たれたことに対しての感想を述べられております。大聖人様も「日蓮も凡夫だから、経巻を取り上げて折ってしまおう」と思われた位ですから相当に激しく打たれたのでしょう。

 大聖人様は、常に冷静であられます。法華経の八巻のうち、少輔房が手にしたのは第五の巻であるということをご覧になっていらっしゃいます。そして咄嗟に、その経文でうたれるのであれば寧ろ悦ばしい限りである、と仰せになられるのです。我々でしたら、取り上げて反対に殴ってやろうと思いますが、ここが仏様ですね。相手の道具を取り上げ、それ以上悪事をはたらかないようにすると。我々であれば、取り上げたらこっちのものとばかりに反対に殴りかかって行きますね。そして、裁判になって、正当防衛だとか、過剰防衛だとかで慰謝料がどうのこうのと面倒なことになります。大聖人様のようなお心持ちであれば争いも最小限に収まり、反対により良き方途が開けてくるんですね。

 少輔房ですが、もとは大聖人様の門下にあって伊豆のころに退転したものが、こんどは大聖人様に害をなすものとして登場します。丁度提婆達多は釈尊の従兄弟でもと弟子でありましたが後に釈尊に敵対するばかりか、釈尊の命を付け狙うという悪業と全く同じです。

 最近も、御法主上人の元弟子である池田某が、猊下を訴えて散々に非難中傷を加えておりましたが、この例に照らしあわせれば本質がよく分かりますね。

 私どもが、池田教徒に対して折伏をするのはここで大聖人様が仰せられる「恩をすつべきや」という御指南の実践以外のなにものでもありません。富士の信仰がいよいよ流布すべき時に当たって、広宣流布を妨げているのは池田教徒であり池田教祖です。しかし、よく考えなければならないことは、大聖人様の御魂を止めおかれた、本門戒壇の大御本尊様の教えを広宣流布する宗派は日蓮正宗富士大石寺以外にないと言うことです。池田教は「日蓮大聖人様の教え」と言いながら、その実は「池田大作教祖の教え」であり、顕正会や正信会も「大御本尊様」の教えを広めることは出来ません。身延派や中山もその資格はありません。ですから、平成の今日、「法華経の上からの難」があるのは私たち日蓮正宗富士大石寺の信仰をしている法華講衆だけなのです。

 ゆえに、彼らの妨害があってはじめて富士大石寺の信仰が大聖人様のお心に叶っていると言うことが証明されるのですから、正しさを証明してくれた「恩を」私はかんじなくてはならないと思います。だから、折伏をするのです。

 池田教徒は、「日顕上人を日本から追放しろ」というようなことを平気で言います。「仏乗寺にぺんぺん草を生やせ」と言うようなことを言っているとも聞いております。唱題の時にもそのように祈っているようです。

 彼らの唱題の時の顔を想像してみましょう。池田大作教祖を思い浮かべて、教えを守って「南無妙法蓮華経」と唱えていても、怨念がこもった唱題では、眉間には皺が寄り、目はつり上がり、口は苦しそうに曲がっていることでしょう。出る声は地獄の衆生の叫喚の叫びであり、身は落ち着きなく上下左右に動き、まるで何者かに取り憑かれたような状態ではないかと思います。「怨み・恨み」を込めた題目は御本尊様が聞き届けて下さるはずはないのです。その証拠に、猊下は益々お元気で三十万法要の大導師を努められております。仏乗寺も、庭に雑草は生えておりますけれども、このように多くのご参詣を得て、発展をしております。

 この十月には、大御本尊様を御安置申し上げる「奉安堂」が立派に落成し、慶祝記念の法要が世界中から仲間が集って盛大に奉修されます。

 いくら数が多くとも、権力や金力があろうとも、恨みの心であってはなりません。仏法は慈悲です。あくまでも慈悲でなくてはなりません。本日の御書は「報恩」と「慈悲」を教えて下さった御文です。

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