平成14年12月8日

四信五品抄
(新編御書一一一五頁)
四信五品抄(新編御書一一一五頁)

問ふ、汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何。
答ふ、此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。請ふ、国中の諸人我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば八十万億劫供養せし大菩薩なり。豈煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓に纏はれ大竜の始めて生ぜるが如し。蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ。妙楽の云はく「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と。優陀延王は賓豆廬尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇へり。経に云はく「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださん。若しは実にもあれ不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん。乃至諸悪重病あるべし」と。又云はく「当に世々に眼なかるべし」等云云。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ、国中の疫病は頭破七分なり。罰を以て徳を推ふに我が門人等は福過十号疑ひ無き者なり。
【意訳】 (日蓮大聖人の弟子の位を明かされる)

問う 汝の弟子は智慧がなくただひたすらに南無妙法蓮華経と唱えるだけであるがその位はどのようなものであるのか
答う 日蓮の弟子の位は法華経以前の教えである四味・三教の最も高い位の者や法華経以前の円教の人に超えるばかりではなく真言宗等の諸宗の元祖である善無畏・智厳・慈恩・吉蔵・道宣・達磨・善導等にも勝ること百千万億倍である したがって国中の諸人は日蓮が末弟を軽んじてはならない 何故にこのような位を得ることになったのかといえば 過去世において八十万億劫もの長い長い間仏を供養した大菩薩だからである 涅槃経に「過去の世に煕運河の沙の数ほどの仏の下で修行をし また亘河の沙の数ほどの仏の下で修行した者であるから 末代にこの経を信ずることが出来るのだ」と説かれているのは 日蓮の弟子のことである また未来には 法華経に説かれるように この経の題目を唱えれば その人は八十年もの長い間 布施を行ぜし者にも勝り 五十の諸々の功徳を備うるに至るのである このように襁褓に包まれた幼き天子 始めて生まれし大竜の子にも比すべき法華の初心の行者を蔑んではならない 蔑んではならない 妙楽大師は「もし法華経の行者を悩ます者は罪を受けて頭が七つに割れ もし供養する者はその福は十号の如来にもすぎるであろう」と言われている 優陀延王は賓豆廬尊者を蔑ろにした罪により七年の間に命を失い 相模の守は日蓮を流罪にした罪により百日の間に内乱が起こった 法華経の勧発品に「もしも法華経を持ち信ずる人を見て その罪や過ちを言い立てるならば そのことが真実であろうとなかろうとも この人は現世には白癩の病に罹り また多くの悪く重い病に罹るであろう」と説かれている また同じく勧発品に「生まれ変わる度に眼がないであろう」とも説かれている 経文の如く 明心と円智は現実に白癩の病に罹り道阿弥は眼のない者となってしまった 日本の国中に疫病が蔓延するのは経文の「頭が七つに割れる」と言うことである このような現罰をもって反対の功徳を推察するに 日蓮の一門は「十号の如来にも過きたる福」を得べき事は疑いのないところである

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