平成15年 2月 9日

「御講」について(二)
秋山孫次郎泰忠譲り状

一、十月十三日の御事は泰忠が跡を知行せんずる男子女子孫彦に至る迄、忠を致し申すべきなり。此の御堂より外に、仮染にも御堂を建て此の御堂を背き申すまじき印に又内内は兄弟と云ひ、又は伯父の中、従兄弟の中にも恨むる事ありとも、十三日には相互いに心を一つにして、御仏大聖人を泰忠が仰ぎ申すが如くに、十五日まで皆皆一所にて御勤めも申し候べく候。又白拍子、猿楽、殿原をも分分に従って懇ろに接待申すべきなり。内内はいかなる遺恨ありと云ふとも、十月十三日は聊も本意無き事をば思い捨て祀り申すべきなり。
二、若し此の状を背いて違乱を致さんずる子供は御仏大聖人、十羅刹、八幡大菩薩の御罰を被るのみならず、泰忠が為に永く不孝の者なり。
   文和二年三月五日

【意訳】
 一,十月十三日の大聖人様のご命日には、泰忠の跡を継ぐ、男子も女子もまたその子供たちも、大聖人様に報恩の誠を尽くさなければならない。この大聖人様を御安置している御堂の他に御堂を建て、大聖人様に背くような信仰をしないために、兄弟や親戚の間で不仲なことがあろうとも、十三日には「大聖人様への御報恩」の上から、心を一つにして泰忠が末法の御本仏日蓮大聖人様にお仕えしているように十五日までの間、経を読み、唱題をして励まなくてはならない。白拍子や猿楽や殿原たちも分にしたがって接待しなさい。例え、心の中にどのような恨み事や忘れられない憎しみがあろうとも、十月十三日は御本尊様への信をしっかりと定め励まなくてはならない。(本意無き事おば思い捨て・本意で本当の心、なきで不信、その思いを捨てることから御本尊様を信じること)
 二、もし、遺言に背くような事があれば日蓮大聖人様のお叱りを受け、泰忠にとっても不孝の者である。

【解説】
 秋山泰忠の正式名称は 「秋山孫次郎源の泰忠」入道となり日高と称す。山梨県中巨摩郡の地頭。日興上人の折伏をうけ日蓮大聖人の信仰をするようになった。後に香川県三豊郡高瀬に移り、日興上人の弟子、日仙上人を屈請して讃岐本門寺を建立寄進した。
 残された書状でもわかる通り、純粋に日蓮大聖人の信仰に励んだ。また法統相続に心を尽くされたことがうかがえる。その信仰の結果として、現在に至るまで「讃岐本門寺」とともに、秋山泰忠の名が語り伝えられている。同寺一帯は今でもほとんどが法華講員であり、お会式には門前に「大坊市」と呼ばれる市がたち、大変な賑わいをみせる。


■御 報 恩
〜恩を報じるために我が身を供養した薬王菩薩〜
日女御前御返事

薬王品と申すは、昔喜見菩薩と申せし菩薩、日月浄明徳仏に法華経を習はせ給ひて、其の師の恩と申し、法華経のたうとさと申し、かんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給ひしかども、なを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間、当時の油にとうしみを入れてたくがごとく身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし、法華経を御供養候き。されば今法華経を後五百歳の女人供養せば、其の功徳を一分ものこさずゆづるべし。譬へば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし 

【解説】
 薬王菩薩の過去世における修行の姿を通して、末法の私たちに御供養の貴さを教えて下さいます。
 薬王菩薩がかつて一切衆生喜見菩薩として修行に励んでいたとき、法華経を説いて下さった仏の恩を報じるためにあらゆる宝物を御供養いたしました。しかし、それでもなお物足りないと思い、我が身に油をぬり千二百年もの間、身を焼き、仏に灯りを捧げることで仏恩に報いようとしました。さらにその後も、臂を灯火として、実に八万四千年もの長きにわたって仏に御供養をしたのです。
 ここで説かれる「万の重宝」は物質的な御供養であり、「身をたいて仏を供養し」と言うことは生命を御供養することであると言えます。
 大聖人様は開目抄で
「仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」
と仰せになられ、仏法の実践は「報恩行」にあると御指南されます。
 つまり、成仏の法を教えて下さった日蓮大聖人様に恩を報ずる上での実践方法をここで示されているのです。ところが、この経文のように身を灯明として供養するなどと言うと、凡夫の私たちには到底できそうもないことだと始めから叶わぬことだと諦めてしまいます。しかし、よくよく考えてみますと、私たちは、かの菩薩よりさらに尊い修行をしているのではないでしょうか。なぜならば、朝早くから夜遅くまで一生懸命に仕事をしを、時には命に及ぶような目に遭いながら、あるいは肉体的な苦しみだけではなく、精神的な苦しみをともなう仕事もあります。そのようにして得た対価を、御本尊様に御供養申し上げると言うことは、自らの命を御供養申し上げていることになるのです。

【御供養は恩を報ずる修行】 
 つまり、経文に示される薬王菩薩等の御報恩の修行は、御本尊様を根本に、信心修行に励む私ども法華講員に体現されているのであります。
 折伏も勤行も御供養もすべて報恩の一念からおこるもので、一切が御報恩の実践活動なのです


■御 供 養
上野殿御返事    (弘安三年十二月二十七日  五十九歳 一五二八)

 鵞目一貫文送り給び了んぬ。御心ざしの候へば申し候ぞ。よくふかき御房とおぼしめす事なかれ。
 仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしへまいらせ候はん。

【通解】
 鵞目を一千枚確かにお受け致しました。
貴方は志がありますので申し上げます。日蓮の事を欲の深い僧侶と思ってはなりません。(御本尊様に)御供養をすることにより易々と成仏する事ができるのです。いま日蓮はそのことを教えているのです。

【解説】
 御本尊様に御供養をされる事により成仏が叶うと仰せになり、南条時光殿に御供養の大切さを教えられる御書です。しかし、御本尊様に御供養をする修行に励むように勧められる大聖人様を「欲の深い僧侶」と思ってはならない、と戒められます。御供養の本質を御指南下さる重要な御書です。

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