平成15年 4月 1日

妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
〜折伏の精神と末法の修行〜

永代経 毎月一日奉修
妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十

〈末法の修行を示される経文です〉
「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」

【意訳】私は深く貴方達を敬います。おごりたかぶって軽蔑したりいたしません。何故ならば、貴方達は、一人残らず菩薩の道を行じて成仏するからです。

『御義口伝』には

「無明上慢の四衆を拝するは、蘊在衆生の仏性を礼拝するなり」(一七八一頁)

とあります。

折伏の根本精神はここにあります。すなわち、衆生の中に隠れている「仏性」を尊敬礼拝をする、と言うことです。その過程では、多くの苦難があります。それを耐え忍び、その上で御本尊様に導くのが折伏の修行である、ということです。

また、

「御義口伝に云はく、此の二十四字と妙法の五字は変はれども其の意は之同じ。二十四字は略法華経なり」(一七七五頁)

と仰せになり、私たちに「不軽菩薩の修行」を教えて下さいます。

 像法時代の不軽菩薩は、「杖や木をもって打たれたり、石や瓦を投げつけられる」ことがあっても、決して怒ることなく、ひたすら「礼拝」を続け広宣流布に我が身を捧げました。いま末法では、礼拝行ではなく、妙法蓮華経の五字を説き聞かすことが成仏の修行である、との仰せです。広宣流布に身を挺するのは、日蓮大聖人様の教えて下さる末法の修行です。この修行に功徳があります。

『観心本尊抄』には功徳の一例として、

「天晴れぬれば地明かなり。法華を識る者は世法を得可きか」

とあります。「天晴れぬれば」とは、晴天であれば、大地が明らかになります。太陽の光に照らし出されハッキリと見えるようになります。「法華を識る」とは、「以信代慧」を思いおこせば理解できるでしょう。即ち、御本尊様を信じ、大聖人様を信じ、御法主上人の御指南を素直に実践に移すことが、「法華を識る」ことです。

 末法の修行は、南無妙法蓮華経と唱え他にも勧めることです。この修行が、「法華を識る」ことになります。そこに、「世法を得」る功徳が具わるのです。

 法華経の深い意義を知れば、世間一切のものごとすべてを明らかに見ることができます。これが功徳です。御本尊様を深く信じ、強く信じ、仏の仰せのままに修行をするならば、世の中のことの全てにおいて迷うことがなくなるのです。

 私たちのように、凡夫の眼・凡夫の智慧でありましても、大聖人様がお示し下さった本門戒壇の大御本尊様を信じて、御法主上人の御指南のままに信心修行していくならば、おのずと私たちの生命の中に、深い世法に対する悟りが出来るのです。したがって、世の中の出来事において少しも迷うことがなくなります。それが、そのまま現世安穏・後生善処の道なのです。

 佛乗寺の四〇周年記念法要が四月二十七日に奉修されます。この時にあたって、大聖人様が最もお喜び下さる「折伏」を行じ、多くの方々に御本尊様の功徳を受けさせて行く実践修行に励み、以て報恩感謝の誠を尽くしてまいろうではありませんか。

【 平成十五年四月一日 御経日】

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