平成15年 6月 8日

法華証明抄
法華証明抄(御書一五九一頁)

しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたき上、ちゝ・故上野は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あるひはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこあなかしこ。此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとゞめよ永くとゞめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

  二月二十八日

 伯耆房に下す


【通解】

しかるにこの上野の七郎次郎(南条時光)は末法の凡夫です。武士の家に生まれ、悪人と言わなければなりませんが、心は善人です。何故ならば、日蓮の教を上一人から下万民に至るまで信じないところ、たまたま信じる者があっても、(信仰の故に)あるいは所領を、あるいは田や畠を取り上げられたり、挙げ句の果てには命に及ぶ人もある中で(日蓮の信仰をするからです)。このように日蓮を信じることは簡単ではありません。ところが、亡き上野殿は信仰をされ、また、子の時光は跡継ぎとなって、誰からも勧められないのに心から(日蓮の)信仰に励み、上の人からは(信仰やめるように)脅迫受けたり、下の者からは忠告を受けたりしたが、ついに信仰を捨てることがありませんでした。そこで、いよいよ仏に成ると見ておりましたところ、そうはさせないと、天魔や外道が、病魔となって脅しているのでしょうか。命は限りあるものです。(病気になったとしても)少しも驚くことはありません(病魔に負けないように御信心に励むべきです)。
(時光に取り憑いている鬼神に申す)鬼神達よ、この時光を悩ますことは、剣を逆さまにして呑み込む行為である。また、大火を身に抱きかかえるようなものである。過去・現在・未来、さらに十方の仏の大怨敵となることである。大変に恐ろしいことではないか。故に、この時光の病を即座に治し、反対に守護の善神となって、鬼道からの大苦を抜き去りなさい。(もしも、この日蓮の言いつけに背いて)病を治さなかったならば、現世では頭が七つに割れる罪を受け、来世には大無間地獄に堕ちること疑いがない。また、これより後は、時光に障りをなしてはならない。日蓮のこの言葉を軽んじたならば、後悔をするぞ。必ず後悔をするぞ。

 二月二十八日

伯耆房日興にこの手紙を託します。

文責編集部 転載複写等禁止