平成15年 6月 1日

一生成仏抄
一生成仏抄(御書四六頁)

迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。
 

 迷いの境界と悟りの境界は表裏一体です。決して別々にあるのではありません。私たち衆生の心の中に迷悟の二つが同居しており、迷いの状態を「曇った鏡」とされ、悟りの状態を「明らかな鏡」と譬えられます。

 そこで、悩み惑っている「曇った鏡」から、澄み切った「明らかな鏡」にするために、常に磨いておかなければなりません。

 ではどのようにすれば磨くことができるのでしょう。

 大聖人様は「お題目をもって磨く」と仰せになります。「南無妙法蓮華経」と唱えることにより、迷いのないスッキリとした境界を築くことができる、と御指南です。

 そのお題目について

「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法稟承事・一五五九)

と仰せです。

 つまり、唱題は自行化他に亘るものです。自行のみの唱題であっては大聖人様の仏法とは言えません。化他の題目があってはじめて大聖人様の仏法です。

 ゆえに、「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるをこれをみがくとは云なり」との仰せは、ただ御本尊様の前で、「こうなりたい、ああなりたい」と自己のことだけを願い唱題をするのではなく、広宣流布の思いを込めた唱題が大切になるのです。

 唱題と折伏は車の両輪のようなものです。両方の輪が回転してはじめて方向も決められます。成仏への道のりを自在に操り、悠々たる人生を切り開くことができる要諦は、

 「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」です。

 皆様の自行化他の信心をお祈りいたします。

文責編集部 転載複写等禁止