平成15年 7月 盂蘭盆会

盂蘭盆御書
盂蘭盆御書(一三七五頁)

 しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云はく「我が願ひ既に満じて衆の望みも亦足りなん」云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。

■法華経

 釈尊は法華経方便品第二の中で「正直捨方便」と説かれます。素直に方便の教を捨てる、と言う意味です。方便とは「仮りの教え」です。そして「但説無上道」と続きます。ただ無上の道を説く、と読みます。「無上」とはこの上もない、最高の、と言う意味です。「無常」や「無情」と同じ発音ですから誤解されやすいようです。ちなみに、「無常」は、はかない。「無情」は薄情です。

 「我が願ひ既に満じて衆の望みも亦足りなん」とは、これも方便品の文で、「如我昔所願、今者已満足」を訓読したものです。意味は、私は(ほとけ)過去から念願していたことが今(法華経を説くこと)で満たされた、と言うものです。その後に、「一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」と続きます。

 法華経の「寿量品第十六」では、仏を医師、私たち衆生を子供に、経文を薬、そして悩み苦しむ姿を毒薬を飲んだ子供に譬えています。

 【経文】は「譬如良医。智慧聡達。明練方薬。善治衆病。其人多諸子息。若十。二十。乃至百数。以有事縁。遠至余国。諸子於後。飲他毒薬。薬発悶乱。宛転于地」」です。

 【訓読】をいたしますと、「譬えば、良医の智慧聡達(ちえそうだつ)にして、明らかに方薬(ほうやく)に練(れん)し、善く衆病を治するが如し。其の人諸の子息多し、若しは十、二十、乃至百数なり。事の縁有るを以て、遠く余国に至りぬ。諸の子後に、他の毒薬を飲む。薬発(やくほつ)し悶乱(もんらん)して、地に宛転(えんでん)す」となります。

 【意味】は、(仏を)譬えていえば、良き医師の中のさらに良き医師で、智恵が勝れ、薬の処方にも熟練しており、病をことごとく治療するようなものである。その医師に多くの子供がいた。ある時、用があり他の国に出かけることになった。諸々の子供は、父が家を出た後に、薬棚にある毒薬を誤って飲み、毒薬の作用により、悶え苦しみ、地の上を転げ回った」というものです。

 所用から帰って父は、悶え苦しむ子供たちを見て、「此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患。其諸子中。不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈」と教えます。

 【訓読】は、「此の大良薬(だいろうやく)は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩
を除いて、復衆の患無(うれえな)けん」と言うもので、

 【意味】は、「この大いなる良薬は色も香りも味わいも美(よ)い薬である。貴方たちが飲むことにより速やかに苦しみから解放される。また全ての人々の病を取り除く薬である」と言うものです。

 諸経の中で法華経が最も勝れていると言われるのは、釈尊自身が法華経を讃歎しているからです。例えばここの中にも「是好良薬」とか、「此大良薬」とか、「色香美味」と表現されているからです。 法華経の薬草本事品二十三には、「最為第一。此経亦復如是。於衆経中。最為其尊」との経文もあります。このような言葉はまだまだあります。

 日蓮大聖人は末法にこの法華経を御所持遊ばされる仏様としてのお立場から、私たちに、

「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ」(観心本尊抄 六二二頁)

と仰せになり、仏の一切の教を「南無妙法蓮華経」のお題目にあつらえて与えてくださったのです。あたかも良医が大良薬を子供たちに与えたのと同じように。

 したがって、南無妙法蓮華経と唱え、御本尊様を御守りすることが、自身の成仏であり、また両親や先祖への孝養になるのです。

 ご参詣の皆さまは、この日蓮大聖人の教を信じ、お盆の追善供養に励まれます。御本尊様の御加護を戴き願いを満足することが出来ます。さらなるご精進をお祈りいたします。

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