平成15年 9月13・14日 御講

四条金吾殿御返事
四条金吾殿御返事(御書一三六二頁)

「此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいの りなしまいらせ候べし」

■通解
日蓮の信仰をする一門は、たとえ不本意なことがあったとしても、見ず・聞かず・言わずして仲良くしなくてはなりません。そして、御本尊様に祈をなして行くべきです。


■語句の意味
○むつばせ給へ―仲良く、親しくしなさいとの意。
○大人―だいにん。仏菩薩のこと。ここでは申すまでもなく御本尊様のこと。


■解説
四条金吾に与えられた「多くの教訓」の一つです。ただ、仲良くするといっても、「付和雷同」であってはなりません。「大人にいのりなしまいらせ候べし」とありますように、御本尊様への祈りを根本とした「仲良し・親しみ」が「異体同心」です。大切なのは「御本尊様への祈り」であり、一人ひとりの強い信心を促されている御文であると拝します。

※【四条金吾の性格を知ることが出来る御書】
@此の人は、人の申せばすこし心へずげに思ふ人なり。なかなか申すはあしかりぬべし」『可延定業御書』(七六一頁)
A「此経難持」の事、抑弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ給ふ様に持たん者は「現世安穏後生善処」と承って、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難雨の如く来たり候と云云。まことにてや候らん、又弁公がいつはりにて候やらん」 『四条金御殿御返事』(七七五頁)
B「孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたびおもひて一度申す」 『崇峻天皇御書』(一一七四頁・十行目)
C「孔子は九思一言」『四条金吾殿御返事』(一一九七頁十一行目)

※【悪舌(悪口・嘘)は功徳を消す】
『仏説観普賢菩薩行法経』(新編妙法蓮華経開結・六三九頁)
「此の舌の過患無量無辺(かげんむりょうむへん)なり。諸の悪業の刺(いばら)は、舌根より出 ず。正法 輪を断ずること、此の舌より起る。此の如き悪舌は、功徳の種を断ず」

【解説】
仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)は法華経の結経です。法華経の最後の普賢菩薩勧発品二十八を承けて説かれたもので、開経の無量義経とともに法華三部経の一つです。ここでは、舌根より種々の災いが起こることを教えています。特に「悪舌は功徳の種を断ず」との経文の意を大聖人様は『十字御書』の中で「わざわいは口より出でて身をやぶる」(一五五一頁)と御指南下さっております。「日蓮の一門」は、くれぐれも言動に注意をし、災いを招くことなく、功徳を積む修行を心がけたいものです。

※【折伏の功徳】
 『妙法蓮華経安楽行品第十四』 (新編妙法蓮華経開結・三九一頁)
「我が滅度の後に 若し比丘有って 能く斯の 妙法華経を演説せば 心に嫉恚(しっち)諸悩障 礙 無(しょうのうしょうげな)く 亦憂愁(またうしゅう) 及び罵詈(めり)する者無く 又 怖畏 (ふい)し 刀杖を加えらるる等無く 亦擯出(またひんずい)せらるること無けん 忍(にん)に 安住するが故に」

【解説】
この経文は、「我が滅度の後に・・・妙法華経を演説せば」とあることから分かりますように、末法において折伏をする功徳を教えて下さるものです。意味は、「御本尊様のことを心から信じ、御本尊様のことを話して行くならば、その功徳は、他を嫉(ねた)む心や瞋恚(しんに・恨む心怒りの心)や、諸々の悩みや妨げや心の憂いや悪口を言われることや、周囲を恐れる心もなくなります。また刀や杖で打たれることもなく、住んでいる所を追い出されることもありません。なぜならば、御本尊様を持ち、御本尊様の功徳を伝えることは、忍辱の修行をしているからです」となります。功徳の大きさがよく分かる経文です。「忍に安住する」との文が特に大切でしょう。私たちは、周辺の色々なことで惑いますね。心が揺れることが多いですね。時には怒りの心、時には悲しみの心。苦悩もまた尽きません。しかし、この経文のように、御本尊様の教を説き広めることにより、「忍に安住する」功徳を頂けるのです。この「忍に安住する」と言うことを、大聖人様の御指南から拝するならば、『種々御振舞御書』「相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆逹多よ」(一〇六三頁)
との御文です。「佐渡流罪の処置を執った北条時宗殿は日蓮にとっては善知識である。首を刎ようとした平左衛門は日蓮にとっては成仏を証明する提婆達多の役目である」と。すなわち、「どのような迫害を受けても、その迫害を耐え忍ことで仏に成る。ゆえに、憎しみより感謝の気持ちが湧き上がってくる」との信仰が根本になった生活になるのです。「恨みつらみに支配された日々の生活」と、「感謝の心に満ちた日々の生活」とどちらがよいか。このように心得てお題目を唱えることが「一生成仏」の信心です。

※【おかれている境界により物事は違って見える】
『曽谷入道殿御返事」(七九四頁) 
「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれど果報に随って別々なり。此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る、仏は一々の文字を金色の釈尊と御覧有るべきなり。即持仏身とは是なり。されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり」

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