平成15年 11月9日 御講

日蓮大聖人御申状
日蓮大聖人御申状(宿屋入道許御状 御書三七〇頁)

其の後、書絶えて申さず。不審極まりなく候。
抑々去る正嘉元年丁巳、八月二十三日、戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘えたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依あるがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚をなして、起こすところの災いなり。若し此を対治なくんば、他国のためにこの国を破らるべきの由、勘文一通之を撰し、正元二年庚申、七月十六日、御辺に付け奉りて、故最明寺入道殿へ之を進覧す。其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之ある由風聞す等云々。経文の如くんば、彼の国より、此の国を責めんこと、必定なり。而るに、日本国中、日蓮一人、彼の西戎を調伏すべきの人に当たり、兼ねて之を知り論文に之を勘う。君のため、国のため、神のため、佛のため内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂て申すべく候。恐々謹言。

文永五年八月二十一日

日 蓮
宿屋左衞門入道殿


【通解】

 その後は書状をさし上げることもなく音信が絶えたままです。どのようにされているか不審に思っています。

 それにつけても去る正嘉元年、八月二十三日の午後九時ごろに起こった大地震について、日蓮が諸々の経文を拝読してその原因を考えてみますと、幕府の中枢にあって日本国の政治を執り行う人々が念仏や禅宗等の教えに帰依をしている故に、本来は日本国を護る役目の諸天善神が怒りの上から起こしたところの災いであることが明かです。したがって、災難の元である念仏宗や禅宗等の誤った信仰を改めなければ、他の国より日本国が攻められやがては征服されてしまう、ということを認めた「立正安国論」を正元二年、七月十六日貴方を通じ、当時の執権であった故最明寺入道時頼殿へ差し上げました。

 その後九年を経た今年の正月、モンゴル帝国よりの使者が来朝したことを風の便りに聞きました。経文の通りであれば、モンゴル帝国が日本を攻めようとしていることは疑いのないことです。しかしながら、日本国の中で日蓮を除いて他の誰人もモンゴル帝国の侵略を防ぐことは出来ません。このことを知っている故に「立正安国論」を認め政府に差し上げ、方策をさずけようとしたのです。北条家のために、日本国のために、更には神や佛のために直接会って日蓮に教えをこうべきです。詳しいことはそのときに申し上げます。


【語句】

〔申状〕朝廷や幕府に上申をする文書

〔正嘉元年丁巳、八月二十三日、戌亥の刻の大地震〕『吾妻鏡』の正嘉元年八月二十三日 の条に「戌亥の刻の大地震。音あり。神社、仏閣一宇として全たきなし。山岳は崩れ人屋は転倒す」とある。震度七と推定され、戌亥の刻は午後八時から九時の間。

〔諸経〕一切経のこと。他に八万四千の寶藏等という。大聖人は「立正安国論」執筆のため静岡富士の実相寺の経蔵に入られ此処で一切経を閲覧遊ばされた。ここではその中の『金光明最勝王経』・『大集経』・『仁王般若経』・『薬師経』の中に説かれる三災七難の経説を指す。

〔日本守護の諸天善神〕天照大神、八幡大菩薩等の日本固有の守護神。霊山の法華経の会座において、法華経の行者を守護することを仏に誓っている。

〔瞋恚(しんに)〕怒り、十悪の一つ。

〔勘文〕朝廷や幕府に差し出す意見書の類。ここでは『立正安国論」を指す。

〔故最明寺入道殿〕鎌倉幕府第五代執権北条時頼のこと。建長八年(一二五六)、鎌倉の最明寺において道隆を師とし出家したことから『最明寺』殿と称される。

〔進覧〕目上に対し書類を目に通すことを願うへりくだった表現。

〔大蒙古国の牒状〕モンゴル帝国の国書。牒状とは公文書のこと。蒙古は十三世紀のはじめにジンギスカンによって中国北方に建てられたモンゴル人の国家。アジアからヨーロッパまでの広大な国土を築いたが後に勢力が分裂し文永八年(一二七一)元朝を宗主国とする連合王国の体制に移行しそれとともに国名を元と改めた。

〔西戎〕未開の国、種族の呼称

〔調伏〕祈祷によって敵を降伏させること。

〔内奏〕貴人に表立たずに内々に直接事を申し上げること。

〔宿屋左衞門入道〕名を光則と言う。執権北条時頼・時宗に仕えた幕府の有力者。大聖人は「立正安国論」を宿屋左衞門入道を通して執権に上程した。

〔三災七難〕大の三災は火、水、風によっておこり、小の三災は穀貴、兵革、疫病。薬師経に説かれる七難は一、人衆疾疫の難。二、他国侵逼の難。三、自界叛逆の難。四、星宿変怪の難。五、日月薄蝕の難。六、非時風雨の難。七、過時風雨の難。

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