平成15年12月 1日

千日尼御前御返事
千日尼御前御返事(新編御書一二五一頁)

日蓮はうけがたくして人身をうけ、値ひがたくして仏法に値ひ奉る。一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母をば大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其の中に悲母の大恩ことにほうじがたし。此れを報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は成仏、或は往生を許したるやうなれども仏の仮言にて実事なし。但法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、悲母の恩を報ぜんために、此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す

永代経拝読御書 平成十五年十二月一日


【意訳】

 日蓮は生まれがたい人間に生まれ、その上値いがたい仏法、中でも法華経に巡りあうことができた。それは全て父母、国主、一切衆生のお陰である。
 父母の恩の中でも、慈父の恩をどこまでも高い天に譬え、悲母の恩を広大な大地に譬えることができる。どちらの恩の大きさも分け隔てはない。しかしその中においても特に悲母の恩に報いることは難しい。悲母の恩に報いるために外典の教えをもとにして報いようとすれば、現世での孝養は叶うが来世をよきところに導くことはできない。物質的には助けることができても精神的な助けにはならない。また内典の仏法であっても小乗・大乗の教えでは女人の成仏は難しく悲母の恩に報いることはできない。何故ならば、小乗では女人成仏は許されていない。また大乗経では、ある経文には成仏、往生を許しているように見えるが、仏の仮りの言葉であり実の成仏ではない。
 但法華経のみが女人成仏の教えである。故に、悲母の恩に報いる真実の報恩の経文であると思い、悲母の恩を報ずるためにこの法華経の題目を一切の女人に唱えさせようと大願をおこしたのである。


【報恩】

 恩というと封建社会の主従関係で語られることが多い。忠臣蔵がその代表格であろうか。しかし、恩に縛られる悪しき社会制度に結びつけて考えてはならない。大聖人様の説かれる恩は人間としての本然的なものである。ここで「うけがたい人身」と仰せになるのも人界に生を受けたことを強調される上からのお言葉であり、人間として存在することは、環境を含め周囲の全てによって支えられていることへの自覚を促されたものであると拝する。報恩抄では「老狐は塚をあとにせず」とあり、年老いた狐でさえ生まれた巣に足を向けて死ぬことはない、と御指南下さる。ゆえに、恩を感じ、恩を報じることは、人間とし生きる上での大前提である。

 この御文は、数多ある恩の中でも、とくに母親に対する恩を述べられ、その恩に報いる第一の方法は、「女人成仏」が文証にも現証にもハッキリと示される唯一の経文である法華経の信仰を勧めることにある、と御指南下さる。私たちが大聖人様の仰せを拝して、「南無妙法蓮華経」と唱え、また周囲の方達にも「南無妙法蓮華経」と教え伝える実践は、悲母への第一の孝養である。

 この御文を拝し確信を深め、さらなるご精進を、そして、世界中から争いが消滅し、争いで子供を亡くす母親の悲しみが無くなることを祈ろう。

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