平成16年1月4日 広布唱題会

南条兵衛七郎殿御書
南条兵衛七郎殿御書(新編御書三二六頁)

日本国に法華経よみ学する人これ多し。人のめをねらひ、ぬすみ等にて打ちはらるゝ人は多けれども、法華経の故にあやまたるゝ人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給はず。唯日蓮一人こそよ読みはべれ。「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」是なり。されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。


【意訳】

 日本国には法華経を読み学ぶ人はおおぜいおります。他人の妻を狙ったり人の物を盗んだりして首を切られる人もおおぜいおります。しかし、法華経のために命を狙われる人は一人もおりません。ゆえに、日本国で法華経を持つ者は未だにこの経文に説かれる現証を顕してはおりません。日蓮がただ一人、法華経を身で読み、法華経の勧持品十三に説かれる、「我が身命を愛するのではなく、成仏が出来ないことを惜しむ」の文を実践し経文に説かれる現証を顕しました。このように経文によるならば、日蓮こそ日本第一の法華経の行者です。


【解説】

 小松原の法難を通しての大切な御指南です。小松原の法難とは、文永元年十一月十一日に、安房国の小松原の地頭である東条景信が、大聖人様ご一行を襲撃し、弟子の鏡忍房と信徒の工藤吉隆が命を落とし、大聖人様も額と手に深手を負われたことをいいます。東条景信は念仏の強信者です。したがって大聖人様が「念仏無間」と獅子吼されることは我慢のならないことでした。そこで家臣達を引き連れ、大聖人様の命を狙う卑劣な行為に及んだのです。

 大聖人様はこの法難で、法華経の勧持品の中に説かれる通りの現証がご自身の身の上に顕れたことから、「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と宣言あそばされるのです。

 申すまでもなく大聖人様は末法の御本仏です。末法の御本仏は色相荘厳(しきそうしょうごん)ではなく示同凡夫(じどうぼんぶ)のお立場で折伏修行に励まれ、法華経に説かれる「難」を呼び起こされ、末法の御本仏であることを私たちに示されます。

 私たちは大聖人様のこのようなお姿を通して「大聖人様が仏さまである」と知り、そして、大聖人様の仰せの信仰に励むことにより功徳を体験するのです。言葉を換えていうと、大聖人様のご確信を、私たちの確信にする、ということです。もっとひらたくいうならば、大聖人様がこのように仰せだから私たちもこのようにする、ということです。大聖人様の仰せを信じるのが、富士大石寺の信仰です。

 今一度申し上げます。日蓮大聖人様のご確信を我らの確信に。

 ※色相荘厳=仏さまが衆生を導くために三十二種や八十種の好き相を顕すことをいいます。迹仏のことです。

 ※示同凡夫 = 仏様が凡夫と同じ姿を示されることをいいます。久遠元初のご本仏であられる日蓮大聖人様が凡夫のお姿で法を説かれ、種々の振る舞いを示され、衆生を導かれたことをいいます。御義口伝には「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(一七七九頁)とあります。

文責編集部 転載複写等禁止



Home http://www.butujoji.jp/