日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年2月1日 永代経

妙法尼御前御返事
〜 其の一 〜
妙法尼御前御返事(御書一四八二頁)
弘安三年七月一四日 五九歳

 御消息に云はく、めうほうれんぐゑきゃうをよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃうにとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろもしろく、かたちもそむせずと云云。

 法華経に云はく「如是相乃至本末究竟等」云云。大論に云はく「臨終の時色黒きは地獄に堕つ」等云云。守護経に云はく「地獄に堕つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」等云云。

 夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこしもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだんし、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみふかき者を口をふさいできうもんし、はれ物の口をあけずしてやまするがごとし。


【現代語訳】

 貴女からのお手紙に、ご主人が「妙法蓮華経と夜も昼も唱えられ、臨終が近くなった時には最後に二声大きく題目を唱えて臨終を迎え、(中略)その功徳で生前よりも色が白くなり姿も穏やかであった」とありました。

 法華経の方便品には「如是相乃至本末究竟等」とあります。竜樹の大智度論には「臨終の時に顔の色が黒いのは地獄に堕ちた相である」と。また守護国界主陀羅尼経には「地獄界に堕ちる相に十五種類、餓鬼界に八種類、畜生界に五種類の相がある」と。天台大師の摩訶止観には「身体の色が黒色に変わるのは地獄の姿を譬えている」等と書かれています。

 日蓮は幼い時より仏法を学びました。そして思うことは人の生命は定めなきものである、ということです。息を吐いた次の瞬間にはもう息を吸うこともできない程です。このことは単なる譬ではなく、風のある露のようなもので、真実を言い表しています。賢い人もはかない人も、年老いた人も若い人も全てに共通することです。そこでまず臨終のことをよくよく習学してその後に他の学文をしようと念願して、釈尊一代の教えを解釈した論師や人師の書かれた物を学び、考えを回らしてこれらを明鏡として、一切の人々の臨終の姿とその後に重ね合わせてみれば少しの曇りもありませんでした。この人は地獄に堕ちた、あるいは人界や天界に生まれたと見分けがついたのですが、世間の人たちは、あるいは師匠父母等の臨終の相を隠して、ただ西方の極楽浄土に生まれ合わせたとのみ言いふらしております。悲しいことではありませんか。師匠は悪道に堕ちて苦しみの中にあるにも拘わらず、弟子は師の臨終を偽って讃歎し益々地獄の苦しみを増長しております。譬えば罪の深い者の口を塞いでおいて問いただしたり、腫れ物の口を開かないで膿を溜めて悪くするようなものです。


【参考】

『千日尼御返事』(一〇二九)
「人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる」

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