日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年3月 春季彼岸法要

法蓮抄
法蓮抄(御書八二〇頁)

 法蓮法師は毎朝口より金色の文宇を出現す。此の文字の数は五百十字なり。一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放つて大地をつきとをし、三悪道無間大城を照し、乃至東西南北、上方に向つては非想非非想へものぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん。我をば誰とか思食す。我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給ふらめ。其の時、過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向つておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ。

法蓮抄 (平成新編御書八二〇頁/全集一〇四〇頁)


【通解】

法蓮法師は、毎朝口から金色の文字を出しています。その文字の数は五百十です。その一つ一つの文字が太陽に変わり、太陽が釈迦如来に変わり、釈迦如来は偉大な光を発して大地を突き通し、そこの下にある地獄、餓鬼、畜生の三悪道は勿論のこと、無間地獄まで照らします。又東西南北のあらゆるところを照らし、上に向かっては非想天や非非想天という天上界のさらにその上まで照らします。そうして亡くなられた父上がどのような所にいようとも探しあてて、「貴男は私を誰だと思いますか。実は、私は貴男の子息である法蓮が毎朝唱える法華経の自我偈の文字が変じたものです。この私が貴男の眼や耳の代わりをしましょう。また足とも手ともなります」と仏は懇切に仰るのです。その言葉を聞いた父上は非常に喜び「法蓮は自分の子ではあるが、それ以上に自分を成仏へ教え導く善知識である。子の教えに導かれて仏になることが出来るとはなんとありがたいことか」と思い、娑婆世界に向かって手を合わせて拝んでおられます。親を教え導き仏の境涯に到達せしむることは最大の孝養です。今の貴男の法華経の信仰こそ真実の親孝行であり、これに勝るものはありません。


【背景】

法蓮とは曾谷教信の法名、つまり戒名です。その曾谷殿の父親が亡くなって十三回忌の法要を大聖人に願いでられ、種々の御供養と共に、「父が亡くなってから後は、毎朝追善のために自我偈を読誦しております」とご報告しましたところ、この御返事を頂きました。いつの世も親を思う子の心は変わりません。また、亡くなられた親も、現世に留め置く子供のことを思いながら来世に旅立たれたのです。大聖人は法蓮抄を通して私たち平成の弟子檀那に親孝行の大切さを教えて下り、御本尊様の信仰に励む事が第一の孝養であることを教えて下さるのです。そして真実の親孝行を勧められるのです。
 御文に、「善知識なりとて、娑婆世界に向つておがませ給ふ」とあります。これは、子の追善供養によって仏の境界を得た親が、今度は反対に娑婆世界に残った子供に功徳を贈る事を教えられております。この御指南から、大御本尊様のもとで執り行う追善供養には「相互の関係」があることが理解されます。一方通行ではありません。『中興入道御消息』で「孝養の人並に妻子は寿を百二十までたもち」と合わせて拝するとよくお分かりになると思います。
 このように、日頃から亡き方のことを思い読経唱題をし、さらに節目にあたっては大聖人様に御回向を願い出る御在世の御信徒の修行を手本として、平成の私たちも一生成仏の境界を切り開いてまいりましょう。

(砌・平成十六年春彼岸 於・佛乗寺)

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