日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年6月1日 永代経

立正安国

立正安国論(御書二五〇頁)

速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ


 文応元年(一二六〇年)七月十六日、時の執権北条時頼に宛てて『立正安国論』と名づけられた救世の一書が献上された。爾来七百四十四年の歳月がながれた。

 七五〇年の昔と平成の今。世相は云何。人心は云何。

 大聖人は、
@正しい教えを立てることにより国は安穏となる
A国の安穏は民衆ひとりひとりの努力による
B決して国家が国民を幸福に導いてくれるのではない
と、御文を通してご教示下さる。

 古来より現代に到るまで、独裁者が民衆に塗炭の苦しみを与えはしたが真の幸福に導いた例はない。だが、我々は時として思い違いをする。国家が我々を導いてくれるものだと。

 このような思いは、責任は為政者にありという楽な生き方である。極論すれば、犬や猫と変わらない生き方ともいえる。飼い主に尻尾を振ってさえいればそれで良いのだから。そのほうが楽なのだから。

 大聖人の信仰は我々に自立を教える。自立とは魂の確立である。自己の魂を確立してこそはじめて真の幸福が得られるのだと。そして、ひとりひとりの幸福が社会全体の幸福につながる根本であると。

 九割九分の人々が幸福で、一分のひとが不幸せな社会は幸福な社会とはいえない。仏法で説くのは十割の幸福の追求である。法華経の会座において、二乗の成仏が、女人の成仏が説き示された。法華経こそ真実の教えである、というのは「一人ものこらず成仏する」この一点からしても明らかではないか。

 一方現実の社会はどうであろうか。政治が悪い、官僚のせいだ、法律が間違っている、等々。世の中が悪いのは全て他の責任にする傾向がある。仏法の因果律にあてはめれば見当違いも甚だしいといわざるおえない。

 大聖人は立正安国論の中で、幕府の信仰の誤りを責められるとともに、民衆に対し、自らが賢明な眼をもち、自己を確立し自己の責任において人生を生き抜くことを教えられているのである。

 二十一世紀の幕が開いて数年を経過したが、世界は混沌として安定に向かう一条の光さえ見られない。このようなときだからこそ、大聖人の立正安国の精神がますます重要になると確信をする。

 我々法華講衆は大聖人の精神を正しく弘宣することの出来る唯一の和合僧団である。富士の貴い教えを世の中に弘める役目を担っている。

 日興上人以来の血脈を御所持あそばされる日顕上人の御指南のままに信心に励み、自己の確立を期し、一切衆生成仏の仏法の王道を歩もうではないか。

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