日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年9月1日 永代経

南条後家尼御前御返事

南条後家尼御前御返事(御書七四一頁)  
文永一一年七月二六日 五三歳

南条後家尼御前御返事(御書七四一頁)

こうへのどのだにもをはせしかば、つねに申しうけ給はりなんとなげきをもひ候つるに、をんかたみに御みをわかくしてとゞめをかれけるか。すがたのたがわせ給はぬに、御心さえにられける事いうばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候とうけ給はりて、御はかにまいりて候ひしなり。又この御心ざし申すばかりなし。今年のけかちにはじめたる山中に、木のもとにこのはうちしきたるやうなるすみか、をもひやらせ給へ。このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候。


【現代語訳】

 上野殿がお元気であれば、いつもいろいろなことをご相談することもできたのに、と残念に思っておりました。ところが、形見として自らの年齢を若くしたような子供を残されておりました。姿が似ているばかりではなく、ご信心のお心もまったく同じであると感じました。ありがたさは申しようがありません。
亡くなられたときのことを思い出します。日蓮が弘通する法華経の信仰を持って、「南無妙法蓮華経」と唱へて臨終を迎えられたとお聞きし、お墓にお参りをいたしました。その後お会いすることもなく月日が経過いたしましたが、またこうしてお会いできることを嬉しく思います。今年の五月からこの山に入りましたが飢饉の最中でなにごとも思うようにならずにおります。木の下に木の葉を敷いて建てたような家をご想像下さい。粗末な堂宇ですが、御登山された子息と共に、読経唱題しその功徳の一分を亡きご主人にお贈りいたしました。


【ポイント】

 当抄は文永十一年(一二七四年)七月に身延から富士上野の南条後家尼に与えた御文です。この年の五月に、身延に入られた大聖人様の元に、後家尼は時光を使として種々の御供養をお届けいたしました。その時の御返事です。

 南条家の人々が入信したのは文永元年(一二六四年)です。その一年後に兵衛七郎(時光の父)は亡くなります。その時に日蓮大聖人様は、鎌倉から富士上野まで足を運ばれ、墓前で読経唱題をして成仏のご回向をされました。そのことが、

「御はか(墓)にまいりて候ひしなり」

との御文から明らかです。このとき時光は七歳でした。小さいながらも大聖人様が父の墓前で読経唱題をして下さったことが強く心に残りました。後に大聖人様の教えを信じ、若いながらも法華講衆の中心として、熱原の法難等を乗り越えた強盛な信心の元はこのときの感激にあるといっても過言ではないでしょう。

 大聖人様の御書を拝しますと、追善供養に関するものが沢山あります。このことは人生の根本問題である「死」について、大聖人様が正面から向き合いその解決をはかるための教えを説かれたからです。

「臨終のことを習ふて後他事を習へ」

との御文もそのような意味から仰せになるのです。したがって、ご信徒の訃報を聞かれるとすぐさま駆けつけて読経唱題をして下さったのです。法華講衆にとってはどれほど大聖人様のご回向が有り難かったでしょう。深い悲しみの中にも来世への希望が感じられる「南無妙法蓮華経」のお題目の功徳といっても良いでしょう。

 この御書でもお分かりになりますように、日蓮大聖人様の教えは、亡き方を大切にする教えです。そして亡き方を通して生きている私たちのあり方を学ぶ信仰なのです。そのお手本が南条時光です。

 日蓮正宗は七五〇年の間、代々の御法主上人のもとで大聖人様の教えを堅く守ってまいりました。塔婆供養などの化儀は時の御法主上人の御指南を賜って決められるものです。御指南を拝し、変えることのできるものとそうではないものを分別し未来に伝えることが大切です。毎月の御経日もその意義をこめて真心から奉修すべきものです。

 涼しくなり行動の起こしやすい季節です。ご先祖の供養をつねに忘れずに精進を重ねようではありませんか。成仏の大きな功徳を頂戴することができます。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺