日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年9月23日

秋季彼岸会

○お彼岸やお盆の意義は「亡き方を通して自身を知ること」です。

 秋季彼岸会のご参詣、誠にご苦労さまです。願い出のございました塔婆供養のご回向を申し上げました。皆さま方の貴いお志で建立されたお塔婆の功徳に感応した亡き方々が、お喜び下さっているここと拝察いたします。

 この彼岸会は日本独特の法要で、聖徳太子の頃にはすでに執り行われておりました。亡くなった人々を追慕する上から、お寺へ参詣して塔婆供養をしたり、お墓参りなどが世間一般でも通例となっています。

 亡き方への追慕の形としての一番古い例は、今から五十年前に発掘されたイラクのシャニダール洞窟の遺跡から見つかった「シャニダール四号人骨」であると言われております。これは六万年前の人の骨で、この遺体の上半身の周囲に八種類もの薬草の花粉のあることが明らかにされております。そして、これらの花粉は自然に落ちたものではなく、亡くなった人に花を手向けたことを表している、と自然人類学者が指摘をしております。このことから、私たちの先祖は、六万年もの前から亡くなった方を弔う儀式を行っていたことを知ることができます。

 昔も今も、「死」は辛く悲しいものです。そこで、花を手向け手を合わせる弔いが生まれたのです。そして、古代人たちは、亡くなった仲間を弔うことにより、生きている自分、を理解したはずです。そのことは現代も同じです。

 日蓮大聖人様は、『草木成仏口決』(五二二頁)で、

「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」

と述べられます。「死の成仏」とは、来世の成仏です。「草木成仏」とは、草木を含めすべてのものに仏性が具わっており仏になることができる、との意です。もちろんその大本には「南無妙法蓮華経」の御本尊様がおわします。以上のことから、花を手向け手を合わせる行為からさらに進んで、究極の方法として、塔婆建立の意義を通して過去・現在・未来という三世の生命観を理解することができる、と教えて下さるのです。したがって、塔婆を建立することは亡き方のためではありますが、生きている私たち自身の命を知ることである、と言えます。これは一念三千の上からの仰せです。
 
 また、日蓮大聖人様は『白米一俵御書』において、

「まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には『若し深く世法を識れば即ち是仏法なり』と」(一五四五頁)

と仰せになります。「まことの道」とは、真実の道、真理の道ですから、仏法のことです。つまり「世の中とかけ離れたところに仏の教えがあるのではない」と言う意です。そこで、皆さまのように、御本尊様の前に足を運ばれ、日頃から丹精をされた品々を御供養としてお供えされ、読経唱題、お焼香に励む修行は、「お彼岸」と言う世間法の面から、御本尊様に向かう信心である、と言えます。そのことを「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」とご教示下さるのです。「信心即生活」あるいは「世間法即仏法」と言う意はここにあります。

 ところが、「信仰さえしっかりしていれば成仏するんだから、お塔婆供養など不要である」とか、「本来、仏教には塔婆供養というようなものはなかった。江戸時代の檀家制度から起こった悪い風習である」などという人がおります。

 前述のごとく、お塔婆の建立は、「衆生を教化する儀式」です。このことを化儀と言います。化儀は「形」です。この化儀を形式である、と軽く考えていると、いつの間にか本来の精神を失ってしまい、大きな誤りを犯すことを池田大作が教えています。彼は、お塔婆やお葬式という化儀を軽視し、自分の都合のよいように変えてしまいました。そして大御本尊様から離れてしまっております。いずれは、お経も題目も必要がない、本尊も不要である、と言い出すでしょう。このように、化儀を軽んじることは恐ろしいことなのです。皆さまの身近にこのような人はおりませんか。もし、いたならばお彼岸は良い機会です。お寺にお誘いし真実の追善供養を教えてあげようではありませんか。彼らも、もともとは正しい富士大石寺の教えに身を置いた人たちです。本心を取り戻す手助けをしてあげようではありませんか。このことも自身を見つめる大切な修行の一環です。

 日蓮正宗法華講は、日蓮大聖人様の仰せのままに、「大御本尊様」と「唯授一人の血脈」を根幹として七百数十年の間純粋な信仰に励んでまいりました。この歴史に誇りを持ち、次の代に伝える上からも、化儀を大切にしなくてはなりません。その意味から本日のご参詣は誠に意義深きものがあります。功徳もまた無量です。

 本日はお彼岸のご参詣まことに御苦労さまでした。残暑が厳しい折ですが、日顕上人猊下の御指南下さる「一人が一人以上の折伏」を目標に、一生成仏の信心に励んでまいりましょう。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺