日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年10月1日 永代経

法蓮抄

「回向」

法蓮抄(御書八一六頁)
建治元年四月 五四歳

法蓮抄(御書八一六頁)

法蓮上人の御身は過去聖霊の御容貌を残しおかれたるなり。たとへば種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり、松さかふれば柏よろこぶ、芝かるれば蘭なく。情なき草木すら此くの如し。何に況んや情あらんをや、又父子の契りをや。彼の諷誦に云はく「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云


『化城喩品』
「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん」

【意訳】

私の願いは、私が修行をして得た功徳を、広くすべての人々と分けあうことです。そして、私達とすべての人々が分け隔てなく平等に、仏の道を成し遂げることです。


『法蓮抄』(御書八一六頁)

「法蓮上人の御身は過去聖霊の御容貌を残しおかれたるなり。たとへば種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり、松さかふれば柏よろこぶ、芝かるれば蘭なく。情なき草木すら此くの如し。何に況んや情あらんをや、又父子の契りをや。彼の諷誦に云はく『慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す』等云云」


【意訳】

子供である法蓮上人(曽谷教信)の御身の上に、亡くなられた父上の容姿を見ることができます。例えば、種が苗となるように、咲いた花が果実をつけるようなものです。その華(父上)の散った後には果実(子)がついています。種は苗となって育っております。法蓮上人が法華経の修行によって戴いた功徳は亡くなった父上の財宝となります。それは、松が成長すれば柏も高く伸びるように、また、芝が枯れてしまうと蘭も枯れてしまうようなものです。非情の草木ですらこのような関係ですから、有情の人界に生を受けている私たちはなおさらでしょう。まして親子という深い縁です。あなたのかかれた文には「慈父の臨終の朝より十三回忌の今日にいたるまで、御本尊様の前で自我偈を読誦して亡き方に回向しております」とありました。


【回向の意味】

 回向は、仏教独特の教えで、「回し向かわす」という意味です。亡くなった方を信仰の対象として手を合わせるのではなく、亡くなった方の成仏を願って御本尊様に向かい読経唱題をする修行に功徳があります。その功徳を亡き方に送ることを言います。またその功徳は、亡き方を思って追善供養に励む方に回り向かわされる、というのが回向の本質です。

 したがって、残された方々のご信心が大事になるのです。既成の仏教各派では、僧侶にお経を読んでもらってそれでことが足りる、としますが、それは本来の仏教ではありません。大切なことは、曽谷教信(法蓮)のように、日々の勤行唱題を根本にして、日蓮大聖人様が教えて下さる僧俗和合した化儀によって追善供養を執りおこなうことです。その修行が御本尊様の功徳を送ることであり、真の回向の意義です。当抄は回向の意義を教えて下さる大切な御書です。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺