日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年11月13・14日 御報恩御講

木絵二像開眼之事

〜 お葬式を考えましょう 〜

木絵二像開眼之事 新編御書六三八頁 御書全集四七〇頁
文永九年 五一歳

木絵二像開眼之事(御書六三八頁)

人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。餓鬼といふは我をくらふといふ是なり。智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是なり。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は、死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に「身は人身なりと雖も心は仏心に同ず」といへるは是なり。生身得忍の現証は純陀なり。法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。故に法華経に云はく「所謂諸法如是相 死人の身 如是性 同じく心 如是体 同じく色心等」云云。又云はく「深く罪福の相を達して遍く十方を照らしたまふ。微妙の浄き法身、相を具せること三十二」等云云。上の二句は生身得忍、下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は竜女是なり。生身得忍の手本は純陀是なり。
 

【現代語訳

■爾前の成仏

 人が亡くなると魂は去り、その身に鬼神が入り込んで子孫を滅ぼしてしまいます。餓鬼というのは「我が身を喰らう」といわれておりますがまさにこのことです。智者があって法華経を読誦して死者の骨に魂を入れたならば亡くなった人の身は人の身ではありますが心は法身となります。生身得忍という法門がこのことです。華厳・方等・般若の円教を悟った智者は死者の骨を生身得忍とすることができます。涅槃経に「身は人身であっても心は仏心である」と説かれているのはこのことです。生身得忍が現実にあらわれた証拠は純陀です。

■法華経の成仏

 法華経を悟った智者が死後の骨を供養したならば生身即法身となります。これを即身といいます。亡くなった時に去って行った魂を取り戻して死骨の中に入れ、かの魂を変えて仏意となすことができます。これを成仏というのです。即身の二字は色法(身)です。成仏の二字は心法(心)です。死者の身と心が変わって始まりなき永遠の過去より終わりなき永遠の未来まで存在する悟りの境智とすることができます。これが即身成仏です。ゆえに法華経の方便品には「いわゆる諸法の如是の如き相(死人の身)是の如き性(死人の心)是の如き体(死人の本体)」とあります。また提婆品には「深い罪を滅して福の相に到達し、十方の世界をすみずみまで照らすことができた。その清らかな法身の相を備えていることは三十二である」とあります。この経文の「深く罪福の相を達して遍く十方を照らしたまふ」は生身得忍を、また下の「微妙の浄き法身、相を具せること三十二」は即身成仏を表しています。即身成仏の手本は竜女であり、生身得忍の手本は純陀です。

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