日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成16年11月7日 広布唱題会

持妙法華問答抄

〜 御本尊様が素晴らしいから私たちも素晴らしい人生を歩むことができる 〜

持妙法華問答抄 御書二九八頁
弘長三年 四二歳

持妙法華問答抄(御書二九八頁)

持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり。其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。爰に知んぬ、当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈冥の照覧恥づかしからざらんや。地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし
 
【意訳】

当たり前のことですが、持つ法が一番すぐれた教えであれば、持つ人も一番貴い功徳を受けることになります。ですから、第一の法を持つ人の悪口を言ったりさげすんだりすることは、知らず知らずのうちに法の悪口を言ったりさげすんだりしていることになります。例えていえば、子供を見下して劣ったものと差別することは、その子供の親を見下して劣ったものと差別するようなものです。この例をもって分かることは、今の人たちは言葉と心がバラバラである、と言うことです。なぜならば、仏の教えを信じているといいながら、仏が説かれた第一の法を持っている人の悪口を言ったりさげすんでいるからです。それは、親孝行な教えが説かれた経文を手に取り親を殴っているのと同じです。経文には「冥の照覧」とあります。意味は、仏様はいついかなる時も私たちを深遠の眼でご覧くださっており、その前では一切が曇りなく照らし出されて明らである、というものです。私たちはこの仏様の御眼を恐れなくてはなりません。宇宙第一の教えである法華経の御本尊様を信じお守りしている人の悪口を言ったりさげすんだりする罪の深さを知らなければなりません。そうでなければ地獄の苦しみを受けることになります。恐ろしいことです。口を慎むべきです。


【当抄を拝読して】

 破門された後も創価学会は、「富士大石寺に御安置の本門戒壇の大御本尊の教えが最高の教え」と言います。ところが実際の行動はいかがでしょうか。富士大石寺の大御本尊様を御所持遊ばされる日顕上人に対し、また大御本尊様を信仰する日蓮正宗の僧俗に対して繰り返すあらんかぎりの悪口中傷は。「当世(創価学会)の人は詞(ことば)と心と総てあはず、孝経(御本尊様)を以て其の親(日蓮大聖人様)を打つが如し」とのご教示がピッタリとあてはまるではありませんか。

 当御書の「地獄の苦しみ」は池田大作元総講頭の姿です。会員から搾取した資金で勲章や名誉称号を集め身を飾るのは、貪り地獄です。口汚く法華講衆を罵るのは瞋の境界だからです。日蓮大聖人様に取って代わろうとする癡(おろか)な行為にいたっては言葉がありません。貪・瞋・癡の三毒が池田大作元総講頭にハッキリと現れています。会員たちも、与同罪です。恐ろしいことです。慎まなくては成りません。創価学会の行く末が案ぜられます。それと同時に、そのような悪道の衆生が多いと言うことは、それだけ周囲にも多くの悪影響を及ぼす、と言うことです。昨今の自然災害や人心の荒廃は創価学会の謗法と決して無関係ではありません。

 富士大石寺の大御本尊様と唯授一人の血脈から離れたならば三毒充満の人格になってしまうことを肝に銘じ、彼らを一刻も早く本来の信仰に立ち返せるために、御本尊様に祈り再折伏をしようではありませんか。そして私たちは、彼らのようにならないことを信仰の目的とするべきです。

  素晴らしい御本尊様に縁をしている私たちです。素晴らしい功徳は私たちのものです。この御文を通してそのことを自覚しようではありませんか。「法が素晴らしいんだと」そして「我らも」

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日蓮正宗向陽山佛乗寺