日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年3月6日 広布唱題会

報恩抄

報恩抄 新編御書一〇三六頁
建治二年七月二一日 五五歳

報恩抄 (御書 一〇三六頁)

日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。
 

 共産主義体制の崩壊は、アメリカ型の市場経済至上主義を世界の中に蔓延させてしまった。ここでは、善悪にはふれない。定義として、市場経済至上主義とは、他に先んじて力をもった者(先進諸国といわれる国々)が、弱い者(後進国といわれる国々)から搾取することである。その結果、暴力(力の強いもの)が力の弱いものを苦しめている。

 しかし、このような現象は、今日に始まったことではない。また、体制の問題でもない。ことは、我々の欲望にある。欲望とは「貪り」であり、果てしなく肥大する。「瞋り」はとどまるところをしらず、怒りの応酬に支配され、より大きな怒りになって爆発をする。肥大する欲望をコントロールする以外に、この悪しき循環を糾す道はない、と知りながら、オロオロするばかりである。だが、欲望をコントロールしようとする欲望がまた新たなる欲望を生み、この悪しき連鎖から解き放たれることはない。

 このような貪・瞋・癡の三毒に支配された世界の出現を憂い、仏は大白法を留めおかれたのである。朝夕に読む「是好良薬 今留在此」を身読するときである。

 「御義口伝に云はく、是好良薬とは、末法にては南無妙法蓮華経なり」(一七六九頁)

 方便品には、仏が弟子の舍利弗に、「諸仏の智慧は甚だ深く無量である」と教えている。智慧とは「照らし見るを智といい、解し了るを慧という」とあるように、「智」は平等の面を、「慧」は差別の面を教えている。すなわち、一方向だけの見方に執われてはならない、と示されたものである。一方向のだけの見方とは、執着ともいう。したがって、執着を断ち切ることにより平等が現れ、平等を見ることにより相違を見いだすことができるようになる、との意である。

 そのような心から発する言葉は、「言辞柔軟(ごんじにゅうなん)・悦可衆心(えっかしゅうしん)」すなわち、「柔らかな言葉により衆生の心を悦ばす」ことができるのである。

 仏の智慧をもって苦しみの根源を見つめ、その解決を探り、その解決のために行動を起こすことが慈悲。ゆえに、慈悲は実践にこそある。

 日蓮大聖人の『報恩抄』での仰せは、「悪の連鎖」すなわち「無間地獄」から世界中の人たちを救うことができるのは、南無妙法蓮華経である、との大確信のお言葉である。

 弥生三月。仏の智慧を心に持つことのできる我らは、汚泥の中の蓮華である。自身の恵まれた境界を自覚しようではないか。自覚することにより一切は顕わる。そして慈悲の行動を起こそうではないか。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺