日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年4月9・10日 御報恩御講

聖愚問答抄

聖愚問答抄 (御書四〇二頁)
文永五年  四七歳

聖愚問答抄  (御書 四〇二頁)

先づ汝権教権宗の人は多く此の宗の人は少なし、何ぞ多きを捨て少なきに付くと云ふ事、必ず多きが尊くして少きが卑きにあらず。賢善の人は希に愚悪の者は多し。麒麟・鸞鳳は禽獣の奇秀なり。然れども是は甚だ少なし。牛羊烏鴿は畜鳥の拙卑なり。されども是は転多し。必ず多きがたっとくして少なきがいやしくば、麒麟をすてゝ牛羊をとり、鸞鳳を閣いて烏鴿をとるべきか。摩尼金剛は金石の霊異なり。此の宝は乏しく、瓦礫土石は徒物の至り、是は又巨多なり。汝が言の如くならば、玉なんどをば捨てゝ瓦礫を用ゆべきか。はかなしはかなし。聖君は希にして千年に一たび出で、賢佐は五百年に一たび顕はる。摩尼は空しく名のみ聞く、麟鳳誰か実を見たるや。世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少なり。 汝只正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。
 

【意訳】
あなたは先ほど、「権教や権宗の人は多くいるが、この宗旨を信仰する人は少ない。なぜ多くの人が信仰している教えを捨てて少ししかいない法華宗の信仰に付くのか」といわれました。しかし、人数の多いことが尊く、少ないことが卑しいとは決していえません。世の中を見るに、かしこくて善良な人は稀であり、愚かで悪い者は多いではありませんか。麒麟や鸞鳳は鳥獣の中でも珍しく他にも秀でていますが、これらは数が非常に少ないではありませんか。牛や羊や烏(カラス)や鴿(ハト)は鳥獣の中でも卑しいものですが多く生息しています。多いことが尊く少ないことが卑しいのであれば、麒麟を捨てて牛羊をとり、鸞鳳を捨て置いて烏鴿をとるのでしょうか。摩尼・金剛は宝石の中でも不思議な力のあるものです。しかし、この宝は少なく、
反対に、瓦礫土石は役に立たない物ですが、非常に多いではありませんか。あなたの言葉通りであれば、玉を捨てて瓦礫を取るのでしょうか。もしそうであれば、まことにはかないことです。聖人は千年に一度出現し、賢人は五百年に一度出現します。摩尼の宝珠は名前を聞くだけであり、麒麟や鸞鳳を実際に見た者はおりません。このように、世間でも出世間でも善き者は少く悪い者は多いという事実が私たちの眼前にあります。そのことがわかっていながら、どうして無理に少ないことを卑しみ多いことを尊いとするのでしょうか。土や砂は多くありますが米をはじめとする穀物は稀です。木の皮は充満しておりますが絹の布はわずかです。大切なことは、あなたが正しい教えを根本とすることです。とりわけて、人数の多いからといってその教えの正邪を判断する本としてはなりません。


【語句の意味】
○先づ汝権教権宗の人は多く此の宗の人は少なし=当抄三九九頁の「然りと雖も権教権宗の者は多く、此の法門を信ずる人は未だ其の名をも聞かず」をさす。
○賢善の人=かしこくて善良な人。
○愚悪の者=愚かで悪い心の者
○麒麟=古代中国の想像上の動物。雄を麒(き)といい雌を麟(りん)という。本体は鹿、尾は牛、ひづめは馬。麒麟が現れるのは聖人が出現する前兆とされた。
○鸞鳳=古代中国の想像上の鳥で、鸞鳥(らんちょう)と鳳凰(ほうおう)のこと。鸞鳥は羽の色は赤色で、そこに五色の色が加わりたいそう美しく、五種類の鳴き声を発する。鳳凰は、前は麟、後ろは鹿、首はヘビ、あごはツバメ、背はカメ、尾はサカナ、頭には鶏のような鶏冠があるとされる。
○禽獣=鳥と獣のこと。
○奇秀=奇はとりわけすぐれたもののこと。秀はひいでる、すぐれる、美しい。
○拙卑=つたなく卑しいこと。
○摩尼=珠、悪を取り除き濁水を澄ます用きがあるといわれる珠。
○金剛=金剛石のこと。ダイヤモンド。
○霊異=人間の力でははかり知ることのできない不思議な力のこと。
○瓦礫=瓦と小さい石。価値のない物のたとえ。
○徒物(いたずらもの)=無用の物、役に立たない物をいう。
○正理=正しい理のこと。理とは道理、筋道。釈尊在世の仏法では法華経が「正理」であり、末法では御本仏日蓮大聖人が説き顕された三大秘法の南無妙法蓮華経が「正理」である。

『十八円満抄』(一五一九頁)には、
「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給へ。智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき」
とある。

【意訳】すべての私の弟子たちは、私が行った如く正理を求める修行をするべきです。正しい筋道を求めなければ、智者といわれ学匠といわれる身になっても地獄に堕ちたならばせっかくの勉学が無駄になってしまいます。

★池田大作は「日蓮正宗の教えを世界にこれだけ弘めたのは私の功績」といい弟子たちにも言わせております。しかし、当抄から、たんに数の多さを誇るのは謗法であることがわかります。日達上人は、「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えない」(大日蓮 昭和四九年八月号二〇)と仰せです。ゆえに、池田大作の一類は、「地獄に堕ちて何の詮か有るべき」です。

☆私たち佛乗寺法華講の折伏は、創価学会のそれとは違い、本門戒壇の大御本尊様の「正理」を着実に弘める行動です。すなわち、「麒麟・鸞鳳」が増加し、国土安穏を実現するための実践です。確信を持ち、新しい年度を迎え、元気に明るく進んでまいりましょう。

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