日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年4月3日 広布唱題会

窪尼御前御返事

窪尼御前御返事 新編御書一五八二頁
弘安四年一二月二七日 六〇歳

【御文 - 1】

今の人々の善根も又かくのごとし。大なるやうなれども、あるいはいくさをして所領を給び、或はゆへなく民をわづらはして、たからをまうけて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども、仏にもならざる上、其の人々あともなくなる事なり。
 
【意訳】
今の人々の善根も同じです。大きな善根のように見えますが、あるいは戦をして得た領地や、あるいは理由もなく民衆をわずらわして築いた財産を仏に供養することで善根としています。これらは大きな仏事のように見えますが、成仏もかなわず、その人々が供養した跡もなくなってしまいます。


【御文 - 2】

又、人をもわづらはさず、我が心もなをしく、我とはげみて善根をして候も、仏にならぬ事もあり。いはく、よきたねをあしき田にうえぬれば、たねだにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。

【意訳】
また、人をわずらわすこともなく、自らの心も正直で、一所懸命に励み善根を行じても仏にならないこともあります。それは、いくら善い種であっても悪い土の田では芽が出ないばかりか種を無駄にして損害が出るようなものです。正直な心であっても供養される人が悪ければ功徳とはなりません。かえって悪道に堕ちてしまいます。


【御文 - 3】

此は日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候。


【意訳】
貴女のこのたびの御供養は、日蓮への御供養ではなく、御本尊様への御供養でありますから、釈迦仏や多宝仏や十方の仏が貴女への功徳は決めてくださいますのでご安心下さい。


【要点】
窪尼の御供養に対する大聖人様の御返事です。この中で、私たちは御供養の精神を学ぶことが出来ます。


1は、不正な蓄財をして御供養としたところで功徳とはならない、と仰せになり、御供養をする者の心構えを教えて下さいます。

2では、反対に、誤った者に御供養をするならば、御供養をした者も罪を受けることになる、と仰せになり、正しい仏様に就くことの大切なことを教えて下さいます。

3では、大聖人様が建立下さった大御本尊様への御供養は、絶対の御供養であり、御本尊様が功徳を下さる、と仰せです。ここで、「日蓮を御くようは候はず」と仰せの意をよくよく拝さなくてはなりません。

 私たちの立場からすれば、御供養は御本尊様へのものであって僧侶への供養ではない、ということです。この大聖人様の御指南を忘れてしまうと創価学会のようになります。

「この功徳は御本尊様におまかせする」この精神が日蓮正宗の御供養の精神です。

 戸田会長も、「信者は御供養をすること。悪いことに使った僧侶がいたらその僧侶が御本尊様からお叱りを受ける」と指導しております。

 今の学会員は御書を忘れ、戸田会長の指導も無視するのでしょう。彼らに功徳はありません。反対に私たち法華講衆は御供養の功徳を十二分に味わうことが出来るのです。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺