日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年5月1日 広布唱題会

三大秘法稟承事

三大秘法稟承事 御書一五九四頁
弘安五年四月八日 六一歳

三大秘法稟承事 (御書一五九四頁)

南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。
 

【通解】
南岳大師や天台大師が「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えましたが、自らの修行を目的とした題目であり、人々を教化する「化他」の題目ではありませんでした。これは理行なのです。それに対し、日蓮が末法に唱える題目は前代とは違った題目です。どのように違うかといえば、自行と化他とが共に具わった題目なのです。自らが成仏するためだけではなく、周りの人々の成仏も同時に実現することの出来る南無妙法蓮華経の題目なのです。



五人所破抄 (御書一八七六頁)

五人武家に捧ぐる状に云はく未だ公家に奏せず。天台の沙門日昭謹んで言上す。先師日蓮は忝くも法華の行者として専ら仏果の直道を顕はし、天台の余流を酌み地慮の研精を尽くす云云。

【通解】
日昭・日朗・日向・日頂・日持の五老僧が武家に捧げた申状には、最後の名乗りに、「天台沙門」とあります。その内容にも、先師日蓮は忝ないことに法華経の行者として成仏のための道を顕し、天台宗の支流として深く思いを致し研鑽をしました、といっております。


【解説】
 『三大秘法抄』の御文と日興上人の『五人所破抄』を並べて拝すると、五老僧たちの大謗法が明らかになります。

 大聖人様は、「日蓮が唱える題目は南岳や天台の唱えた題目ではない」と明確に仰せです。ところが、謗法の五老僧たちは、「天台の沙門・天台の余流」といいます。余流とは支流とか末流という意味です。したがって、彼らの題目は天台と同じ題目です。同じように南無妙法蓮華経と唱えていても、本質はまったく違うものであり、日蓮大聖人様の題目ではない、ということなのです。

 日蓮大聖人様から日興上人に伝えられ、日興上人から日目上人に、と唯授一人の血脈がいかに大切であるかを教えてくれる事柄です。

「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」(一八八四頁)

と日興上人が絶対の確信を込めて御指南下さるお題目を私たちは唱へております。ですから、大聖人様に通じるお題目なのです。功徳は我らの信心にあります。そのことが悔しい創価学会は、信仰者とは思えないような態度で私たちを誹謗中傷します。しかし、彼らが何といおうとも、大御本尊様は富士大石寺におわしますのです。ゆえに、自信と誇りを持って哀れな人たちに慈悲の折伏をしようではありませんか。

 ありがたいことに、私たち法華講衆は、日蓮大聖人様が唱えられた「末法の題目、自行化他にわたる南無妙法蓮華経」を唱へることが叶っております。しっかりとお題目を唱え、一生成仏の大きな功徳を受けてまいりましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺