日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年9月4日 広布唱題会

兵衛志殿女房御書

兵衛志殿女房御書 御書一一〇二頁
建治三年三月二日  五六歳

兵衛志殿女房御書 (御書一一〇二頁)

 先度仏器まいらせさせ給ひ候ひしが、此の度此の尼御前大事の御馬にのせさせ給ひて候由承り候。法にすぎて候御志かな。これは殿はさる事にて、女房のはからひか。(乃至)此の馬も、法華経の道なれば、百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給ふべき御馬なり
 

○支部総登山を皆で成功させよう

 池上兄弟の兄を池上右衛門太夫宗仲、弟を池上兵衛志宗長といいます。二人そろって大聖人様の信仰をしておりました。この御書は弟の宗長の女房に与えられたものです。 「先度仏器まいらせさせ給ひ候ひしが」とは、以前に宗長の奥さんが、御本尊様のために用いる器を御供養されたことを指しております。この度は尼御前を大聖人様のもとにお送りするために大切な馬を提供されました。次の、「此の度此の尼御前大事の御馬にのせさせ給ひて候由承り候」との御文から、この度は縁のある年輩の尼になった女性のために、一家にとって大切な馬を提供して、山深い身延におられる日蓮大聖人様のもとに登山をする手助けをされたことがわかります。鎌倉時代の人々にとっては「馬」は大切な財産のひとつでした。ですから御文にも「大事の御馬」とございます。私たちは自家用車程度の認識かありませんが、とんでもないことです。命の次に大切にしていたのではないかと想像されます。そのような馬を尼御前が御登山をされるにあたって提供されるのですから、「法にすぎて候御志かな」とのお言葉となって信心を励まして下さいます。このお言葉は最高の誉め言葉を頂戴したことになります。なぜならば「法」とは法華経のことであり御本尊様のことであり、日蓮大聖人様のことだからです。その御本尊様を御供養申し上げる心持ちが、「御本尊様に過ぎるお気持ちである」と仰せにるのです。つまり、大聖人様に対し奉り、宗長の女房が顕した志に「私には過ぎたお心です」と大聖人が仰せになるのです。

 この大聖人様の御指南に登山参詣の大切さが尽くされています。すなわち、尼御前を大聖人様のもとに導くことができたことが一つ。もう一つはそのために大切な馬を提供する宗長の女房の志し。その功徳は百二十歳の長寿を得、しかも栄えた後に、仏のもとに行くことのできる、成仏の大功徳を受ける、このことを学ぶことができます。

 今私たちが総本山の大御本尊様に御開扉を受けに登山参詣をするのは大聖人様がこのように教えて下さるからです。足が悪くて尻込みする方に、車の手配をしますからご一緒しましょう、と大聖人様のもとに「足を運ばせる」修行。私が運転しますから乗っていきましょう、と「車引きの役目」をする修行。まだまだあります。とにもかくにも、富士大石寺の大御本尊様に御目通りをさせよう、そして「罪障消滅のお題目を唱えさせてあげよう」このような信仰が大聖人様の教えて下さる、「自行化他の信仰」です。

 ゆえに、九月二十五日の支部総登山に向かって、同心の人々を誘い誘われる活動を展開する私たち仏乗寺の法華講衆は、この御文の如く「あなたのお志はまことに素晴らしいものです」と大聖人様からお誉め頂けます。

 私たちも、馬となりまた馬上の人となりましょう。今世の馬は来世の馬上の人であり、今世の馬上の人は来世の馬です。ともに御本仏の御照覧があります。「法華経の道」を一人でも多くの方々と歩み、皆で功徳を受けられることを願い励んでまいりましょう。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺