日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成17年12月4日 広布唱題会

地引御書

地引御書 御書一五七七頁
弘安四年十一月二十五日  六十歳

地引御書 (御書一五七七頁)

坊は地ひき、山づくり候ひしに、山に二十四日、一日もかた時も雨ふる事なし。十一月ついたちの日、せうばうつくり、馬やつくる。八日は大坊のはしらだて、九月十日ふき候ひ了んぬ
 

 今月の二十五日午後二時から新本堂の起工式があります。起工式のことを世間では地鎮祭といいます。地の神の御心を鎮める、という意味でしょうか。日蓮正宗ではこの言葉を使いません。なぜならば、御本尊様を御安置するのですから、地の神の心を静める必要はありません。むしろ反対に、御本尊様の住されるところをお護り致します、との立場にあるのが地の神です。

 『刑部左衛門尉女房御返事』には、
「不孝の者をば日月も光ををしみ、地神も瞋りをなすと見へて候(乃至)不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり」(一五〇三頁)

とあります。親不孝な者は、太陽からの恩恵も受けることができず、そればかりか地神の怒りに触れ地震が起こることが述べられています。さらに下文には、
「大地破れて無間地獄に入り給ひき」
とありますように、仏の教えをないがしろにすれば最後は大地が裂けて無間地獄に堕ちるのです。

 日蓮大聖人様は、
「法華経は親孝行なお経である」(『開目抄』五六三頁)
と仰せ下さっております。ですから、御本尊様を御安置申し上げ、日夜怠らずに修行に励む私たちは「親孝行」を尽くしていることになります。大聖人様のお言葉です。有り難いことです。

 そういたしますと、地神が怒るどころか御本尊御安置の所は素晴らしいところである、と感じ、一層の加護に励むことは間違いありません。太陽や月、また大地からの恵みを存分に受けることのできる功徳がこの信心にはある、ということです。地の神の御心を鎮めるのではなく、彼の心を歓喜させ、加護の働きに一層励むように促す御本尊様のお力があります。ですから地鎮祭とはいわずに、工事が始まる、という意味で「起工式」というのです。

 拝読の御書は、大聖人様が身延山中に坊を建立されたときの様子を書き記して南部殿に与えられたものです。

 「坊は地ひき、山づくり候ひしに」
とあります。「地ひき、山づくり」との御文から、山を削って地面を平らにされた様子が伝わってまいります。鍬や鋤を手に手に土を均し、地面を踏み固める南条時光をはじめとする法華講衆の姿が目に浮かびます。また、日興上人や日目上人も檀信徒の中に入って、共に汗を流されたことでしょう。

 天候にも恵まれた様子も記されております。そして全てが順調にはかどったのもご信心の功徳であることを、
「さだめて子細あるべきか」
と述べられます。大聖人様のもとで、僧俗一致した思いと実践は、十間四面(一間は百八十センチ)の立派な坊となって完成しました。大聖人様が御入滅になるちょうど一年前のことでした。

 我が仏乗寺も起工式を執り行います。御本尊様を御安置申し上げる建物の工事ですから、この御書にあるように、私たちもスコップを持って工事現場に入りたいところです。しかし、そのようなことをすると危険である、と現場監督に注意されます。そこで、工事に参加したい、という強い思いを「折伏の思い」に代えてご奉公をしようではありませんか。直接手を出す代わりに「祈り」として現場で働く人たちを応援しようではありませんか。私たちの祈りは強い力となって職人さんたちの後押しとなります。その祈りは立派な建物になって必ず現れます。

 最後に起工式に関して大切なことを申し上げます。大聖人様は「桜・梅・桃・李」の原理から、それぞれの働きが必ずある、だから各自が自覚してその役目を果たすことが法華経の教えである、と御指南下さいます。そういたしますと、当日会場に落ちているゴミ一つ拾うのも立派なご信心です。むしろ「陰徳陽報」の教えからすれば大聖人様のお誉めの言葉はそこにある、と申し上げても過言ではありません。式では多くの方の協力をいただきます。現場の設営や案内等でご奉公される方、裏方で支えて下さる方、それぞれの持ち場持ち場でご精進下さい、ということです。 

 明年の今頃になります。総本山から御法主上人をお迎えし落成入仏式を執り行います。その時に、御本尊様の功徳をしっかりと受けられるように各々の立場で精進をしようではありませんか。

 世間では十二月を年末としますが、仏乗寺は始まりの月です。お一人お一人が、落成入仏式を大きな節目として成長できますように御祈念申し上げます。

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