日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成18年2月1日 永代経

妙法蓮華経如来寿量品第十六

(寿量品その五)

妙法蓮華経 如来寿量品第十六

妙法蓮華経 如来寿量品第十六

又善男子。諸仏如来。法皆如是。為度衆生。皆実不虚。譬如良医。智慧聡達。明練方薬。善治衆病。其人多諸子息。若十。二十。乃至百数。以有事縁。遠至余国。諸子於後。飲他毒薬。薬発悶乱。宛転于地。是時其父。還来帰家。諸子飲毒。或失本心。或不失者。遙見其父。皆大歓喜。拝跪問訊。善安穏帰。我等愚癡。誤服毒薬。願見救療。更賜寿命。父見子等。苦悩如是。依諸経方。求好薬草。色香美味。皆悉具足。擣?和合。与子令服。而作是言。此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患。其諸子中。不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊。求索治病。然与其薬。而不肯服。所以者何。毒気深入。欠本心故。於此好色香薬。而謂不美。


【書き下し文】

又善男子、諸仏如来は、法、皆是の如し。衆生を度せんが為なれば、皆実にして虚しからず。譬えば、良医の智慧聡達にして、明らかに方薬に練し、善く衆病を治するが如し。其の人諸の子息多し、若しは十、二十、乃至百数なり。事の縁有るを以て、遠く余国に至りぬ。諸の子後に、他の毒薬を飲む。薬発し悶乱して、地に宛転す。是の時に其の父、還り来って家に帰りぬ。諸の子毒を飲んで、或は本心を失える、或は失わざる者あり。遥かに其の父を見て、皆人いに歓喜し、拝跪して問訊すらく、善く安穏に帰りたまえり。我等愚癡にして、誤って毒薬を服せり。願わくは救療せられて、更に寿命を賜え。父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて、擣?和合して、子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて、復衆の患無けん。其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便之を服するに、病尽く除こり愈えぬ。余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して、病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而かも肯えて服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於て、美からずと謂えり。


【現代語訳】

たとえば、智慧が聡く全てに達している優れた医師がいたとします。その医師は薬を調合したり、さまざまな病気に対応して適切な治療を施すことに熟達しておりました。またその医師には多くの子供たちがおりました。十人、二十人、あるいは百数十人の子供たちがいたとしましょう。医師は、ある時、所用で外国へ出かけました。子供たちは(父が出かけた)後に、薬棚にあった薬(毒薬)を飲んでしまいました。その薬を飲んだことにより、(子供たちは)悶え、悩乱して、地の上でころげまわりました。その時に、父が(外国から)家に帰ってきました。毒薬を飲んだ子供たちは、本心を失ったままの者もおれば、あるいは失わなかったものたちもいました。子供たちは、帰ってくる父の姿をはるかに見て、みな大いに喜んで、ひざまずいてお辞儀をして、丁寧に言いました。『よく御無事でお帰りくださいました。愚かな私たちは、薬棚にあった毒薬を誤って飲んでしまいました。どうか治療して下さい。そして寿命をお与え下さい』と。父は、苦しみ悩んでいる子供たちの姿を見て、さまざまな処方によって、色・香り・味ともにそろったすぐれた薬草を探してきて、それを臼でつき、ふるいにかけ、調合して、子供たちに与え、服用させました。そして、つぎのように言いました。
『このすぐれた良薬は、色・香り・味ともにすべてそなえています。子供たちよ、これを飲みなさい。すみやかに苦しみや悩が除かれて、病はすべてなおります』と。
 毒薬を飲んだ子供たちの中で、本心を失わない者は、色がよく香が素晴らしい良薬を見て、いわれるままに素直な心ですぐさま服用したところ、それまでの苦しみがたちまちに除かれて治癒しました。
 しかし、毒薬を飲み本心を失ってしまっている子供たちは、自分たちの父が帰ってきたのを見て、同じように喜び、ひざまずいてお辞儀をして丁寧に、病を治してくれるように求めましたが、父親である医師から与えられた薬を、あえて服用しようとはしませんでした。そのわけは、毒薬の効き目が深く心の中にまで行きわたり、本の心を失ってしまっていたためです。そのすばらしい色・香りある薬を、(色も香りも)良くないと思ったからです。


【今日のポイント】

 良医病子(ろういびょうし)の譬がここから始まります。すぐれた医師と病を得たその子供、と言うことです。有名な法華経の七つの譬の中でもことに大切なものです。

 文底の信仰からは、「良医」は大聖人様。「病子」は私たち末法の衆生。そして、「大良薬」は三大秘法の南無妙法蓮華経であることはいまさら申すまでもありません。幸いなことに、私たちは毒薬を飲みましたが、医師の勧めにしたがって素直に良薬を飲むことができておりますので「更賜寿命」は疑いのないところです。「更賜寿命」はさらに命を賜る、と言うことですから、「元気で長生きができる」と読み代えることができます。南無妙法蓮華経の御本尊様の大きなお力を教えて下さる経文です。御本尊様の薬を飲む行為は、お題目を唱え、折伏実践することですから、日蓮正宗の信仰は、寿命さえも延ばすことができる大きな功徳があるのです。

 ここでもう一つ学ぶことができます。それは薬であっても飲み方次第では毒薬になってしまう、ということです。父親である医師の薬棚から、子供たちが薬を勝手に取り出し、誤って飲んだことにより、大きな苦みや悩みを抱える結果を招いたことを忘れてはなりません。今日的な言い方をすれば、「副作用」に苦しめられる姿といえます。

 念仏や真言の教えを信じている人々は、仏の教えを信じているようですが自分勝手に信仰をしておりますので寿量品の経文では「飲他毒薬」(勝手に誤って薬を飲む姿)です。当然そこには「副作用」があります。したがって「薬発悶乱。宛転于地」となります。

 実は、折伏とはそのことを教えてあげることなのです。薬には違いないのですが飲み方が違うゆえに毒薬となっているのですよ、いま私が正しい飲み方を教えましょう、と。これが折伏なのです。そこで、朝夕の勤行の時に、この箇所になりましたら、私たちは素直に「大良薬」を飲むことができている、ありがたい、と感謝し、本心を失って毒薬を飲んでいる人達を可哀想に思い、薬の飲み方を教えてあげようという慈悲の心をもって読経することが仏のお使いの立場であるといえます。

 成仏は難しいことはありません。ただ素直に教えを受けるのみです。成仏とは本心を取り戻すことなのです。私たちの本心は皆仏なのです。仏身が悪縁により表に出ていないだけです。外からもってくることではないのですから、難しく考える必要はありません。日蓮大聖人様の教えを信じ実践するか否か、ただこれだけです。そして教えることができる自分であるように御本尊様に祈りましょう。

 建設工事も急ピッチで進んでいます。太陽の光も日に日に力強さが感じられるようになりました。寒い日もありますがいま佛乗寺は希望の中の日々です。もちろん檀信徒の皆さまもその渦の中です。ご精進をお祈りします。来月は今日のところをもう少し詳しく学びたいと思います。誘い合ってご参詣下さい。

 本日は永代経(御経日)の大切な日にもかかわらず所化に代理を勤めさせ申し訳なく思っております。ただ住職は本山の用で留守になっていることをご理解下さい。そして、住職は留守ではありますが、檀信徒の皆さまがこのようにご参詣下さることで、住職は安心して本山でのご奉公に励むことができます。まさに「外護の知識」という働きが皆さまの信心の上に現れている、と思います。ありがたいことです。今後も留守がちになりますが、「外護の知識」のお立場を貫くご精進を念願致します。

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