日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成18年4月1日 永代経

妙法蓮華経如来寿量品第十六

(壽量品その七)

妙法蓮華経 如来寿量品第十六

父作是念。此子可愍。為毒所中。心皆顛倒。雖見我喜。求索救療。如是好薬。而不肯服。我今当設方便。令服此薬。即作是言。汝等当知。我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。是時諸子。聞父背喪。心大憂悩。而作是念。若父在者。慈愍我等。能見救護。今者捨我。遠喪他国。自惟孤露。無復恃怙。

【書き下し文】

父是の念を作さく、此の子愍れむべし。毒に中られて、心皆顛倒せり。我を見て喜んで、救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を、而も肯えて服せず。我今当に方便を設けて、此の薬を服せしむべし。即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし。我今衰老して、死の時已に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れ。是の教を作し已って復他国に至り、遣を使して還って告げしむ、汝が父已に死しぬ。是の時に諸の子、父背喪せりと聞き、心大いに憂悩して、是の念を作さく、若し父在しなば、我等を慈愍して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて、遠く他国に喪したまいぬ。自ら惟るに孤露にして復恃怙無し。


【現代語訳】

父は(苦しむ子供たちを見て)、『この子たちのふびんなことよ。間違って飲んだ薬のために、心が乱れきっている。私を見て、喜んで治療を求めたのは良いのだが、ここにあるすぐれた薬を、あえて服用しようとはしない。この上は、私は方便をもって、この薬を飲ませることにしよう』と考えたのです。そして、次のようなことをいいました。『子供たちよ、よく知っておきなさい。私は、今はもう年老いて、死期が近づいております。そこで、素晴らしい良薬を、今、ここに置いておきます。子供たちよ、手に取って飲みなさい。病が治らないのではないかと疑ってはなりません』と。このような教えを残し、父の医師はまた他国に行き、そこから使の者を派遣して、子供たちに告げさせました。『あなたたちのお父さんは、もう亡くなってしまいました』と。父が亡くなったと聞いた子供たちは、心に激しい衝撃を受け深く憂い悩み、次のような心が湧き上がってきました。『もしも父が生きていてくれたなら、私たちをいつくしみ、あわれみ、救い護ってくれるであろうに。いま父は遠く他国で亡くなり、私たちは父から捨てられたような立場に陥ってしまった。考えてみると、私たちはみなし児で、誰も護ってくれる者もなく、頼みとする人もいなくなってしまった』と。


常懐悲感。心遂醒悟。乃知此薬。色香味美。即取服之。毒病皆愈。其父聞子。悉已得差。尋便来帰。咸使見之。諸善男子。於意云何。頗有人能。説此良医。虚妄罪不。不也。世尊。仏言。我亦如是。成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他。阿僧祇劫。為衆生故。以方便力。言当滅度。亦無有能。如法説我。虚妄過者。爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

【書き下し文】

常に悲感を懐いて、心遂に醒悟しぬ。乃ち此の薬の色香味美を知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈ゆ。其の父、子悉くしに差ゆることを得つと聞いて、尋いで便ち来り帰って、咸く之に見えしむ。諸の善男子、意に於て云何。頗し人の、能く此の良医の虚妄の罪を説く有らんや不や。不なり、世尊。仏の言わく、我も亦是の如し。成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫なり。衆生の為の故に、方便力を以て、当に滅度すべしと言う。亦能く法の如く、我が虚妄の過を説く者有ること無けん。爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。


【現代語訳】

このように常に悲しみの思いを抱いている中で、ついに心が目覚め気づきました。そして、父の残してくれたこの薬が、色も味も香りも素晴らしいことがわかり、すぐさま手に取って飲むことで、毒薬を飲んだことで起こった病はすべて治癒しました。子供たちの病が全て治癒したことを聞いた父は子供たちのところに帰り、子供たちに元気な姿を見せたのでした。この例え話の後に仏は次のようにいいました。「善男子たちよ、このことをどう考えますか。この良医が自らのことを亡くなった、と偽った罪を取り上げて、それを責めることができる者が少しでもおりましょうか」と。その問いに答えて弟子たちは、「仏様、そのような者はひとりもおりません」と答えたのです。さらに仏様は言われました。「私もまた、これと同じです。私が仏となってより今日まで、無量無辺・百千万億・那由佗・阿僧祇劫という永い永い時間が過ぎています。私は、衆生たちのために、あらゆる手だてを用いて、『私は入滅します』といいます。しかし、このように説いたことを、私の偽りの言葉であり過失であるとあげつらう者はいないでしょう」と。その時に、仏様は、重ねてこれまでのことを宣べようとされて、詩頌を説かれました。


【今日のポイント】

 有り難いことに、私たち法華講衆は、医師の指導通りに素直に薬を飲んでおります。薬の効き目が楽しみです。そのことを教えてくださるお経文です。ところが、『御義口伝』には
「毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり。之に依て法華の大良薬を信受せざるなり。服せしむと雖も吐き出す、而謂不美とて美味からずと云ふ者なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は而謂不美のものに非らざるなり」(一七六八頁)
とございます。大聖人様は「吐き出す」と表現されています。創価学会の人たちが、これまでせっかく飲んでいた薬を吐き出すのもうなずけますね。「池田教が権教であり、大御本尊を誹謗することが謗法」です。そして、そのような思いに深く執われているのですから、折角の薬も吐き出すのです。それどころか、富士大石寺の「南無妙法蓮華経の薬」を飲ませてください、と願っておきながら、医師のお立場である御法主上人の処方箋に従わないで、俺の方が偉いんだ、と思いこんでいる悪徳医師(池田大作)に騙されて毒薬を飲み続けているのですからもっと悪い状況です。

 十数年前までは曲がりなりにも良薬を飲んでおりましたので多少効き目が残っているかもしれません。しかし、これからは「毒気深入」ですから良くなることはありません。お経文の表現を借りますと「心皆顛倒」ですね。「為毒所中」になっている患者は救いがたいのですが、私たちは「此子可愍」の父親の役目があります。どこまでも「汝可取服」との慈悲を根底に置き、折伏の修行に励むことが肝心です。またそのことが、我が身の病をも克服する原動力となることを自覚しなくてはなりません。さらに、創価学会の人たちよりも遙かに多い人たちが薬に迷っています。そして苦しんでいます。その人たちに「是好良薬」を教え示すことが私たちの役目です。

 さて、四月二十九日は新本堂の建て前(上棟式)です。三月二十八日に、上物というのだそうですが、柱を建てる段階に入りました。それは、着実に日如上人をお迎えする日が近づいていることを意味します。工事の進捗に負けないように私たちも、信心の柱を建て、棟を上げて進んでまいりましょう。 (来月から自我偈です)

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