日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成18年6月4日 広布唱題会

法華初心成仏抄

法華初心成仏抄 御書一三二一頁

法華初心成仏抄 (御書一三二一頁)

されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏になり給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。
 

 大聖人様が、「過去・現在・未来の三世の諸佛が、妙法の功徳で仏に成ることができた」と仰せになり、私たちが信ずる御本尊様の功徳の偉大さを御指南下さるとともに、御本尊様の功徳の偉大さを信じてお題目を唱えることが、「仏になる道」であると教えてくださる御文です。

 「仏になる道」は、「我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者」と仰せです。「我慢」というと、今日では「堪え忍ぶ・じっと耐える」という意味で用いられております。しかし、本来の意味は七種類の慢心の一つで、我を誇り他を軽んじる心のことを表す意味の仏法用語です。また「偏執」は偏った執着心のことですから、これも自己中心的な者の考え方を意味しております。したがって「我慢偏執」とは、自分こそは貴いのである、という慢心から、自らの心を省みることなく偏った心に執着した姿をいいます。

 お題目を唱えていても、私たちは凡夫故に我意我見に支配された心が表に出ることがあります。このようなときには当抄の御指南を思い出し、唱題のときの境界をさらに高める努力をすることが大切です。

 大きな問題が起こったときなどに、この「我慢偏執」の心が起ることが多いのではないでしょうか。何かの問題に直面したとき、本来であれば、「難起るをもって安楽と心得よ」という心持ちで唱題を行うべきところを、反対に、「お題目を唱えていても大丈夫なのか」という不安な気持が強くなることがあります。それは、「我慢偏執の心」に支配された心の状態です。そのようなときこそ、この御文を思い出しましょう。

 正直で素直な唱題をすることが成仏の道であり、願いを叶えてゆくことのできる根本です。一生成仏の信心といいましても、その過程には、山も谷もあります。そこで、落ち込んだときにどのようにすれば立ち直れるか、そのことを日頃から学んでおくことが肝心です。日興上人が、「御抄を心肝に染め」と御指南下さる意味もここにあります。

 本日拝読の御文
「仏になる道には我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」
を暗誦できようにしておきましょう。成仏への大きな助けとなります。

 「仏になる」とは金ぴかの仏像のような特別の存在になることではありません。日々の生活の中で、問題に直面したとき、問題から逃げることなく御本尊様を信じ問題に立ち向かう心を持った人が仏の一分であるといえます。問題を抱えていながらも、解決に向かって唱題を重ね折伏をする姿がすでに仏の一分です。そして問題を解決する功徳を体験することができるのです。

 功徳を体験するには、日蓮大聖人様を信じ、大聖人様の仰せのままに修行に励むことです。勤行・唱題・折伏この御指南を守り持続するならば善き結果を受けることができます。六月も日如上人の許で折伏に邁進しましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺