日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年4月 御報恩御講

異体同心事

異体同心事 (御書一三八九頁)
弘安二年八月 五八歳

異体同心事 (御書一三八九頁)

白小袖一つ、あつわたの小袖、はわき房のびんぎに鵞目一貫、並びにうけ給はりぬ。はわき房・さど房等の事、あつわらの者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。
 日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。
 其の上貴辺は、多年としつもりて奉公法華経にあつくをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給ふよし人々も申し候。又かれらも申し候。一々に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。


【語句の意味】

小袖:袖口を狭くした衣服。大袖の下衣。(岩波古語辞典)
はわき房:(伯耆房)日興上人の交名。交名とは通称のこと。
鵞目一貫:真中に鳥の目のような穴の空いたお金に紐を通し一まとめにしたもの。千枚が一つの単位になっていた。
さど房:民部阿闍梨日向のこと。六老僧の一人に選ばれたが、大聖人様滅後、日興上人の御指南に背き残念ながら謗法の僧侶となった。
外典:内典の仏教に対する語。インドではバラモンの経典。中国では儒教や道教の典籍。日本では神道の書物など。また仏教以外の一般の書籍も指す。
殷の紂王:殷は中国最古の王朝といわる。紂王の時に周の武王に滅ぼされた。
周の武王:周は殷の次の王朝。武王は中国の国王の中でも勝れた王の一人とされている。周公旦や太公望は弟。
日天・大神:諸天善神の一つ。


【現代語訳】

 伯耆房が登山のおりに、貴方からの御供養である、白い小袖を一枚、厚い綿の入った小袖、さらにに鵞目を一貫、確かにお受けいたしました。
 伯耆房や佐渡公、また熱原の法華講衆の御本尊様に対する無二の志が、異体同心でありましたから万事をなすことが出来ました。反対に、同体異心であればどのようなことも叶わないということは、中国や日本に数多くある書物の中で説かれ定まったことです
 歴史の上からみても、七十万騎の数を誇っていた殷の紂王と、随うものわずか八百人の周の武王が戦った時に、同体異心の紂王が敗れ、異体同心の武王が勝ちました。このことから、一人の心ではあっても二つの心があれば、心の中で反目しあって願を叶えることはできず、百人千人と言う多くの人であっても、各々の心が一つであれば必ず事を成し遂げることが出来るのです。同じように、日本国の人々は数多くいますが、残念ながら心が別々であるから諸々のことを成就出来ないのです。
 日蓮の一門は日本国の他の人々と違い、異体同心であります、人数は少ないけれども大事を成し、広宣流布は間違いありません。
 念仏や真言の教えを守り、正法を誹謗する悪人は多くおりますが、南無妙法蓮華経と唱える一善に勝つことはありません。たとえば盛んに燃える火であっても水を掛ければ消えるようなものです。日蓮の一門もこれと同じです。
 その上貴方は、永年法華経の信仰を強信にされております。この度の熱原におけることにも、これまで以上に勝れた信仰心を出され、精進されたことを回りの人々も認め、そのことを話されております。また、伯耆房達も申しておりました。これら一つひとつを日蓮が承り、諸天善神にも申し上げます。


○異体同心

御義口伝
 「是桜梅桃李の己が位己が体を改めずして無作の三身と開覚す。是即ち量の義なり」(一七九七)
観心本尊抄文段
「当山所栖の学徒等四十余輩、異体同心に、予に当抄を講ぜんことを請う。懇志一途にして信心無二なり。余謂えらく、四十余輩寧ろ一人にあらずや」


○『異体同心事』について

 当抄は弘安二年八月に身延から富士上野の地頭であった南条時光に与えられた御文です。時は熱原法難のまっただ中です。熱原法難とは、熱原の法華講衆の中心者であった、神四郎・弥五郎・弥六郎が無実の罪で刑死した弘安二年十月十五日を中心として、前後約三年間にも及ぶ法難をいいます。

 日蓮大聖人様は、竜の口法難の後、佐渡への御流罪となり足かけ四年を配所で過ごされました。赦免となり鎌倉に帰られた大聖人様は、三度目の国家諌暁をされましたが、謗法に染まった幕府は正法を受け入れることはできませんでした。そこで大聖人様は、令法久住のために身延山に入山されました。何故身延の地を選ばれたかといいますと、身延の地頭であった波木井実長を折伏されたのは日興上人であられ、その日興上人のご縁で身延の地を選ばれたのです。文永十一年(一二七四年)五月のことでした。

 日興上人は、山梨県の鰍沢というところのお生まれです。鰍沢町は山梨県南巨摩郡にあります。甲府市の南にある町です。この鰍沢から日本三大急流の一つに数えられる富士川を下ると富士市にいたります。その富士市にあった四十九院というお寺で修学に励んでおられました。近くには実相寺というお寺があり、そこに立正安国論をご執筆するうえから、一切経を閲覧のために滞在されていた日蓮大聖人様にお会いになり、その場でお弟子になりました。

 富士川流域は日興上人様がご活躍された地域であり、日興上人のご縁で大聖人様が身延に入られたもの、仏法の筋道の上からは偶然のことではありません。ちなみに、富士川流域のおもだった法華講衆の名を挙げてみますと、上野殿をはじめとして、重須殿・西山殿・高橋殿・松野殿・三沢殿・窪尼などがいます。この方々が頂いた御書だけでもかなりの量になり、身延の大聖人様を外護申し上げた貴い信仰の姿を見ることができます。

 大聖人様が身延に入られたころから、日興上人が中心となって富士方面の折伏が大いに進み、法華講衆が日々に増加いたしておりました。なかでも、龍泉寺という大きな寺では、お寺の中に住んでいる僧侶の、日秀師や日弁師や日善師等が日興上人の折伏を受けて改宗し、さらにこの僧侶たちの折伏を受けた農民たちの多くが日蓮大聖人様の信心をするようになりました。

 そうなりますと、邪宗邪義の者たちは御法門の上では到底かないませんから、陰湿な方法で法華講衆を迫害するようになりました。その中心となったのが龍泉寺の院主代の行智という僧侶です。

 しかし、日興上人の教えを受けた法華講衆は、心を合わせ、一致団結して一歩も退くことはありませんでした。そこで、行智一派は、鎌倉幕府の権力者であった平左衛門に訴えて熱原の法華講衆の大弾圧に乗り出したのです。

 念仏の強信者で、大聖人様の命を奪おうとして果たせなかった平左衛門です。そこで今度は、卑劣にも法華講衆にその矛先を向けたのです。地獄の心に支配された哀れな姿です。平左衛門と行智という悪と悪が手を結び、熱原の法華講衆に襲い掛かりました。

 弘安二年九月二十一日には、日秀師が所有する田の稲刈りを利用して、二十人の法華講衆を捕らえて鎌倉に護送しました。そして拷問や脅迫を加え、日蓮大聖人様の信仰から退転するように迫りましたが、法華講衆は一人として退転する者はおりませんでした。それどころか、拷問や脅迫に会う度に益々強盛にお題目を唱えたのです。そこで、ついに平左衛門は、信仰の中心者と目された神四郎・弥五郎・弥六郎の三人の首を切ってしまったのです。

 まことに卑劣で悲惨な出来事ですが、御本仏の御眼からご覧になれば、大聖人様が不自惜身命の御修行の上から、法華経の行者であることを実証され、竜の口法難・佐渡御流罪において末法の御本仏としての御姿を示されたことに続く熱原の法華講衆の信仰に、御一期の御化導の目的成就を感じられたのです。そして、本門戒壇の大御本尊様をご建立下さったのです。つまり、名もない法華講衆が命がけで法華経の信仰を貫いたことは、大聖人様がご教示になる不自惜身命の修行が、入信まもない信徒によって実践されたことであり、このことは、末法万年に日蓮大聖人様の教えが流通してゆく上から重要な意味を持つものであることをお感じになられた、ということなのです。

 したがって、熱原の法華講衆の不惜身命の実践により呼び起こされた熱原法難は、私たち末法の衆生にとって重大な意味があります。

 その法難の根本にあることが、「異体同心の信心」であることを私たちは知らねばなりません。


○拝読のポイント

【異体同心】
 日寛上人は「異体同心」について本尊抄文段の中で、
「当山所栖の学徒等四十余輩、異体同心に、予に当抄を講ぜんことを請う。懇志一途にして信心無二なり。余謂えらく、四十余輩寧ろ一人にあらずや」と仰せになっております。つまり、懇志一途、信心無二がここで仰せになられる「異体同心」の絶対条件であると言うことです。換言すれば、大御本尊様に対する信心を根本とし、大聖人様の教えを広めて行く、との高い志を持っている人々の尊い集まりを「異体同心の信心」と言うのです。

 ただ、同心といいましても、「異体」つまり個々の体が中心となります。そのことを教えてくださる大切な御指南が、御義口伝の中にあります。それは、
「是桜梅桃李の己が位己が体を改めずして無作の三身と開覚す。是即ち量の義なり」(一七九七)
との御文です。

 桜は桜の特性があります。同じように、梅は梅、桃は桃、李は李であり他の物ではないのですが、それぞれに特分があり、そのままで仏の当体であるということです。同じように、私どもも、一人ひとりの顔が違うように、それぞれの役目があり、持ち分があります。その役目を自覚し、分々の力を出し切ることが「桜梅桃李」の原理であり、「異体同心」の根底にあるものと拝します。

 互いに協力しあって、各々の持ち味を生かし、大聖人様の御本懷である、本門戒壇の大御本尊様の尊さ、有り難さを、全ての人々に教え伝えることが大切なのです。

 「異体同心」は、御義口伝の御文のごとく、大聖人様の教えを守り、個々の、「異体(特性)」を大切にし、その上で、富士大石寺の教義を広め、一切衆生を救済するという崇高な精神のことです。まさに、一人ひとりの活躍の道を開いた画期的な教えではないでしょうか。他人を尊重し敬い、より良い社会を建設する使命が私ども法華講衆にはあるのです。

 大聖人様が「異体同心」の御指南をされるのは、それだけ困難なことだからです。
「ヤマアラシのジレンマ」という話を聞いたことがあると思います。これは、体中ハリだらけのヤマアラシが、寒いときに互いに抱き合って暖めあいたいと思っても、トゲが邪魔になって暖めあうことができない、すなわち、心と行動が一致しない苦しさを表現した言葉だそうです。
 私たち人間には幸か不幸か体にトゲはありません。しかし、トゲに変わる、「きょう慢」や「計我(けが)」といわれるものがあります。十四誹謗に含まれ、いずれも自我のことを指しています。このような心が邪魔をして、暖めあう方法があるにもかかわらず、寒さに震え続けなくてはならないのです。

 そのようなときに大聖人様はどのような御指南を下さっているでしょうか。四条金吾に与えられた御文では、
「此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし」(『四条金吾殿御返事』一三六二頁)
と仰せです。凡夫である私たちは、同じ信仰をしている者同士でも欠点が目につくことがあります。そして、相手のためだと思って注意をします。しかし、大聖人様はそれさえも慎みなさい、と御指南です。なぜならばそのことで異体同心を破ることになるからです。では間違ったことをしているのを見逃すのか、という反論が出るでしょう。しかし、「大人にいのりなしまいらせ候べし」の御文を拝するならば、見過ごすのではなく「御本尊様に祈ること」と仰せなのです。すなわち、それらは御本尊様が裁いてくださるのである、と心に留め、私たちの尺度で測ることなく全ては御仏意にお任せする、という信仰姿勢をご教示になります。

 この御文は、以前の御講でもお話しいたしましたからご記憶だと思います。恐らく四条金吾も、「正しいことをいうのだから、間違ったことをいうのではないのだから」という気持ちから、同じ信仰をしている同志に対して何事か注意をしたのでしょう。そのことに関してのご注意なのです。

 大御本尊様を心の真ん中においた「異体同心」の信仰に立つことにより、どのようなことが起ころうとも乗り切ることができます。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、生きてゆくには多くの苦難があります。多くの苦難があろうとも、御本尊様を信じ、大聖人様と同じ志である、「広宣流布」を高く掲げて前進するならば、必ず成仏の功徳を受けられます。互いに励まし合って精進を重ねましょう。

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