日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年4月29日

立宗会並びに第25回佛乗寺支部総会:御住職ご指導
 立宗会並びに第二十五回の支部総会、誠におめでとうございます。ことにこの度は、新しい本堂で初めての支部総会、しかも25回という四半世紀の歴史を刻んだ節目です。皆さまには感慨無量のことと重ねてお慶びを申し上げるものです。

 さて、日蓮大聖人は
「当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつる。名をば後代に留むべし」『開目抄』(新編御書・562)
と御指南下さいます。

 この御文は極寒の佐渡においてお認めになられた『開目抄』の一節です。墓所に立つ、屋根は破れ壁の落ちた一間四面の廃屋、しかも、膝の上には一尺もの雪が積る暮らしの中で、「日蓮は日本国中で第一の富める者」であると仰せになるのです。「富木抄」でも、
「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり」(新編・1369)
と仰せです。

 思いますに、これらの御文は、日蓮大聖人が、末法の御本仏としての絶対の境界を言い表されたものであると拝します。仏の絶対の境界とは、世間一般の尺度で計るのではなく、世間一般の尺度を超越したところに価値基準を置く、と言うことです。貧しいけれど、寒さに震える身ではあるけれども、そのような現世的なものに一喜一憂するのではなく、過去・現在・未来の三世の生命観に立った、生命の本質を説き示す御指南なのです。

 このお言葉を私たちの凡夫の立場では、
 「どのような境界にあろうとも、皆さんは日蓮の弟子檀那です。必ず日蓮が守ってあげましょう。ですから、自信を持って何事にも取り組んで行きなさい」
という励ましのお言葉であると拝することができます。

 もちろん、自信過剰はいけません。ただし、自信過剰に見える人は、本当は自信のない人がうわべを飾るために演出している姿だといえます。自信のある人は、過剰にならないのが本質であると私は思います。その証拠に、自信のある人はいつも謙虚です。また決して自分からは「私は謙虚な人間です」とは言いません。

 世界中から勲章や名誉称号を集めて、私はこれだけの勲章や称号をもらっているから偉いんだ、という人がいたならば、それは自信のない気の小さい人です。「庶民の王者」と言っておりましたが、「庶民の王者」とは摩訶不思議な言葉です。庶民はどこまで行っても庶民であり、このような物言いに、なりたくてもなれない羨望や嫉妬やその他諸々の思いがこもっているように感じます。中国の首相に面会できた嬉しさに、有頂天になり「思わず」本心が出たのでしょう。王者になりたいという。

 かって日顕上人に対し奉り、あらぬ事をあらぬ事を口走っておりましたが、大聖人の遣使還告であられる代々の御法主上人のお立場に嫉妬をした結果のあらわれだったのでしょう。図らずも、「庶民の王者」という言葉で彼の本質が露わになりました。テレビって怖いものですね。

 さて、自己に自信を持つことができるとどのようになるか。一つ試していただきたいと思います。
「私は、日蓮大聖人の弟子檀那です」
と胸を張っていえるようになれば、私たちの心の中にはっきりとした変化が現れます。一番わかりやすいのが、「不平不満を言わなくなる」、「嫉妬の心、妬んだり、焼き餅を焼いたりすることがなくなる」。「つねに朗らかな気持ちでいられるようになる」これらのことがすぐに結果として表れます。すでに体験済みでしょう。

 そこで一つ、提案です。皆さんの周りにも、どんなことにも文句を言う人がいると思います。そのような人は自己に自信がない人です。ですから、そのような人には「折伏」をして、御本尊様の弟子になって自信を回復しようではありせんか、言おうではありませんが。どのように話すか?悩むことはありません。難しいことを言う必要もありません。「愚癡や文句が出るのはあなたに自信がない証拠です。文句を言う前に、愚痴る前に自分自身を振り返って見ましょう」と。そして、「大聖人様の弟子檀那としての絶対の境界から世の中の出来事を見ることができるようになれば、必ず素晴らしい人生を歩むことができます」と。自他共に自信に満ちた社会の実現は、朗らかで明るい社会になります。 絶対の境界から世の中を見るということは、右にも左にも偏らない中道の見方です。 御書には「中道実相」あるいは「一色一香中道にあらざることなし」等と示されており、その中道は、妙法蓮華経を受け持つ凡夫の心である、と仰せです。したがって、日蓮大聖人の戒を受け、広宣流布に励む私たちは、既に中道の実相を確固たるものにしております。

 また、中道実相をより確固たるものにするために、さらなる修行、即ち折伏の修行が大切です。

 御法主上人が、私たち平成の法華講員に地涌倍増の御指南をされるのは、折伏を忘れた修行では真実の功徳を受けることはできません。自らの幸せばかりではなく、周囲の人々の幸せを祈る行動こそ真実の幸福を築くただ一つの方法です。だから、折伏に励みましょう。その結果が地涌倍増であり広宣流布なのです、とのお心からであり、私たちの成仏の道を示される上からの御指南なのです。

 先日のマレーシアの方々ばかりではなく、世界中で日蓮大聖人様の教えを根本に、平和な争いのない社会の実現に向けて励んでおります。

 世界中の法華講員に負けないように、私たちも平成21年立正安国論正義顕揚750年に折伏の焦点を定め、御法主上人の御指南のままに精進を重ねようではありませんか。

 以上、一言申し述べ指導教師指導といたします。

守護国家論国家論に曰わく
「願わくば一切の道俗、一時の世事を止めて永刧の善苗(ぜんみょう)を植えよ。今経論を以って邪正を直(ただ)す。信謗は仏説に任せ敢えて自義を存することなし」
(新編御書・118)

以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺