日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年4月1日 広布唱題会

如来滅後五五百歳始観心本尊抄

如来滅後五五百歳始観心本尊抄 (御書六五三頁)
文永十年四月二五日 五二歳

如来滅後五五百歳始観心本尊抄 (御書六五三頁)

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ


【御本尊様を受持する功徳】

 当抄は、文永十年四月二十五日、佐渡一ノ谷で顕された御文です。末法の御本尊様の御相貌(ごそうみょう)、つまり御姿をお示し下さる御文であることから、「法本尊開顕の書」と古来よりいわれております。ちなみに、『開目抄』は、末法の仏様を教えてくださっておりますので、「人本尊開顕の書」といわれております。

 冒頭に挙げました御文は、「受持即観心」を示された大切なところです。受持即観心とは、御本尊様を受け持つことで、成仏のための根本の因を得ている、ということです。わかりやすくいうと、成仏のための条件を具えることができた、といえばよいでしょう。成仏の条件を具えることができたのではありますが、御本尊様を信じて持たなくてはなりません。いくら種をまいても、水や太陽の光がないところでは芽が出ないのと同じで、功徳のある御本尊様でも、目の前に置いておくだけではなりません。したがって、御本尊様に向かって勤行唱題を欠かさず、折伏を行じることが受持ということになります。身口意の三業にわたって御本尊様を信じることが大切です。

 また、「観心」とは、私たちの生命の中に、一念三千の生命が具わっていることを知ることです。一念三千の生命とは、仏様の生命です。日蓮大聖人様は、難しい修行を繰り返すことなく、妙法蓮華経の御本尊様を受持することにより仏の悟りを得られると仰せ下さっているのです。

 御文の「因行」とは、仏が九界の立場(爾前経では雪山童子や楽法梵志など、また法華経本門では五百塵点の昔に菩薩の道を行じたこと)にあるとき、仏果を目指して修行した万行をいいます。また、「果徳」とは、その修行の結果我が身に具わる功徳のことで、万行に対して万徳といいます。

 万行といわれるように、釈尊は過去世において苦難に耐え、繰り返し繰り返し修行に励みました。そして、仏としての悟りを得ることができたのでありますが、末法の私たちは、日蓮大聖人様が教えてくださった妙法蓮華経の御本尊様を受持することによって、釈尊の万行を成就し、万徳を得ることができる、と教えてくださっている御文です。

 ですから、御本尊様を信じ、身口意の三業にわたって受持するならば、大きな大きな功徳を受けることができるのです。功徳は人それぞれですが、共通して言えることは、豊かな心をもつことができるようになることです。

 修行に励むことは、自らの心を磨くことですから、心が光り輝くようになります。そのための唱題なのです。そのための勤行なのです。そして、折伏なのです。

 年度が替わり新学期が始まります。大人の方々も、ピカピカの一年生の時がありました。そのときの心を忘れずに、また輝きを取り戻すことができるように各々が精進を重ねましょう。

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