日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年8月1日 永代経

「観妙院上人の御教え」(法道院百年誌)

『立正安国の思い』

『立正安国の思い』

 昭和二十年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争は終わった。敗戦四日後の昭和二十年八月十八日、観妙院上人が謄写版で刷って檀信徒に出した葉書がある。

 これには、敗戦、亡国の責任は国民にあること、広宣流布に精進し安国を樹立しなければならないことなどがはっきり書かれている。

 戦争の終了に当たり、観妙院上人が止むに止まれず、その思いの丈を記したものであろう。

「戦、敗れたり。因なくして果は生ぜぬ。大反省、大懺悔せよ。大詔謹承前夜迄の国内の有様はどうだ。地獄。餓鬼。畜生。修羅ではなかったか。譬へば、人集ればヤミの話(地獄)食物の話(ガキ)愚痴(畜生)とケンカ(修羅)が付きものであって之を三悪四悪と云ふ。それは国民が地獄・餓鬼・畜生・修羅に堕落した姿だ。人間界らしさなく、ましてや、親を拝む事も、祖先を拝む事も忘れ天子様(神)も大聖人様(仏)も拝めない、あはれな姿ではなかつたか、求道も合掌も無いまゝに、戦に勝たんか、恐るべき真の日本の亡国は国民自身が行ったであらふ。
戦敗れたり。心の影たる「物」をのみ追ふ勿れ、吾等正法を信行してまつしぐらに一天四海皆帰妙法、一閻浮提広宣流布へ精進し事の戒旦建立の暁、世界全人類と倶に大合掌して富士戒旦を拝み奉らん。
◇原子爆弾、原子ロケットに対して電波兵器原子砲の研究あり。両者が光線の操作に依つて戦はれる事があっても人類は幸福ではないぞ、物質科学がどれ程進んだとて、断じて人類の魂を浄め更正せしめねば真の幸福はないぞ。世界全人類を救ひ得るものは誰ぞ、正法正師の正義にはあらざるか!
正義を亡滅せば安国断じてあるべからず」

 昭和二十年八月十八日


 「吾等正法を信行してまつしぐらに一天四海皆帰妙法、一閻浮提広宣流布へ精進し事の戒旦建立の暁、世界全人類と倶に大合掌して富士戒旦を拝み奉らん」「物質科学がどれ程進んだとて、断じて人類の魂を浄め更正せしめねば真の幸福はないぞ。世界全人類を救ひ得るものは誰ぞ、正法正師の正義にはあらざるか! 正義を亡滅せば安国断じてあるべからず」などの言葉は、現在でもそのまま通じるものである。


 『反省と広布への決意』

 終戦半月後の九月一日発行された『法道会通信』の最初に、観妙院上人の次のような文が掲載されている。
 
 「大隅氏のことばではないが「勝利か死か」と一途に進んで来た戦局も大詔渙発に依って急転し、別に世界平和の大道をまっしぐらに進む事となった。直後の気持は誰しもが自然と涙が滲み、意志も言葉も失った如くだった。泣き乍らも御題目が無意識に出て来た。有難い。本当に有難かった。オーム(鸚鵡‖編者註)の様な口真似な修行であっても日頃お題目を唱へさせて頂いてゐるおかげで涙と倶にあふれ出て来るお題目に依って自分たちの進む道が益々ハッキリと見えて来た。今迄と何の変わりのない「一天四海広宣流布」への浄願と「富士戒壇建立」への大道だ。(中略)
 想へば、如何に大聖人のお慈悲が広大無辺であっても、法を説き道を行ずるものの力足らず御奉公も及ばずして三悪四悪の強盛の今日に至った事は如何にも残念ではある(中略)
 自行化他の第一の事はヒザズメで、一対一で教化するのが最高だと私は信ずる。異体同心の同志を得て個々に利益せしむることだ。(中略)
 これは結局僧侶の教化を怠った為だ、信徒の外護の至らぬ顕れだ。私は今後に於て特に此の点に注意し反省したいと思っている。例へば先般仮道場建設に付いて見ても、延三十余名の献身的御奉公と求めずして寄進せられた深志の諸氏の献金は有難かったが、私は正直な処、焼跡に集って呉れる人の余りに少ないのにはいささか驚いた。吾等の信徒の道場ではないか、信行し奉る大御本尊の御堂であり、吾らの親の家ではないか。私の此の苦しみを見抜いて摘出した人に菅野氏があった。今日迄の私の教化の如何にカラッポであった事か!
 まづ、今後の私はたゞお題目を唱へ唱へて進むのみだ。世界全人類が慈悲に恵まれて倶に大合掌をして大御本尊を拝み奉る迄一対一の異体同心の真剣勝負だ。異体同心の同志はともに進んで頂きたい。大言壮語も誇大妄想もいらぬ。只々末法万年尽未来際迄も御利益あらせ給ふ正法正義を信仰して「広宣流布、戒壇建立」へのみ精進しようではないか。同志諸君!」(以上法道院百年誌より転載)


 まもなく六十三回目の「敗戦の日」を迎える。戦争が遙か昔のこととなって、戦争の苦しみを知らない人々が大多数を占める社会となった。そのような社会にあっては、戦争の「罪」よりも「功」と思われる面が強く感じられるのだろう。

 この敗戦を期に生まれた日本国憲法が今危機に瀕している。

 日本国憲法の改正、とくに第九条を廃止して集団自衛権を認め、積極的に戦争ができるようにすることを政策に掲げ選挙に臨んだ安倍政権であったが、結果はご覧のとおりである。日本国憲法は、「立正安国論」に符合する憲法であると考えている私は、ひとまず胸をなで下ろした。

 憲法を改正した方がよい、という人々は「六十数年も前のものだから」とか、現実にそぐわなくなった部分がある、という。なかでも公明党は「環境権」を加えるべきである、といい、保守政治家の一部は「自衛権」を挙げ改正を主張する。だがはたしてそうだろうか。日本国憲法には「環境権」に関する規定がないのか、また自衛隊は自衛のための兵力として厳然と存在しているではないか。

 これらの議論は、どんなに素晴らしい道具であっても使いこなす者の力量が劣っていれば役に立たないのと同じであることを証明しているようなものである。腕が悪いのに道具のせいにしている愚か者である。人類史上最も優れた憲法を使いこなせずに、この憲法は駄目だから変えてしまおう、という愚か者にならないためにも、立正安国論の精神を固く心に持ち、
「我が信ずるのみに非ず 他の誤りおも戒めんのみ」
の御聖訓を実践する八月でなければならない。

 暑さに負けない秘訣は、と問われれば、それは折伏、と即座に答えがかえるのが日蓮正宗富士大石寺の信仰である。御本尊様の功徳を確信し精進を重ねよう。

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