日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年11月1日 永代経

「四苦八苦」

其の二
 先月は四苦八苦の名目を挙げておきました。今月から何回かに分けてそれらを学びます。

 四苦の最初は「生苦」です。仏法では生まれることが苦しみであると説きます。これは一体何を教えているのか、考えてみたいと思います。

 皆さまは、生まれるときのことを覚えていますか。お母さんのおなかから誕生したときのことを記憶しておれば、この意味も分かるかも知れません。残念ながら覚えていないでしょう。ですから、なぜ「苦」なのかも分かりません。

 出産の経験者にお尋ねしますと、子供を産むときは楽ではなかった、と大概の人は仰います。「案ずるより産むが易し」という言葉があるけれど、あれはウソで、それは苦しかった、という話も少なからず聞きます。

 そうしますと、「生苦」は生まれる人のことではなく産む側のお母さんのことでしょうか。あるいは、子供も大声で泣きながら生まれてきます。これは、苦しいから大声で泣いているのであり、これを「生苦」というのだ、と言うものもあります。でも、苦しいときだけ泣くとは限りませんね。うれし泣き、という言葉もありますから。

 ところで、漢字の「生」と「産」に付いて考えてみますと、両方とも「うむ」と読みます。意味も同じです。辞書には、出産ということに力点を置く場合には「子どもを産む・産みの苦しみ」のように〔産〕を用いるが、その他は〔生〕を用いる。「生まれ月・産みの親」とあります。いよいよ分からなくなりました。いったい「生苦」とは何なんでしょうか。

 そこで大聖人様の御指南を拝してみますと、『聖愚問答抄』に
「悲しいかな痛ましいかな、我等無始より已来、無明の酒に酔ひて六道四生に輪回して、或時は焦熱・大焦熱の炎にむせび、或時は紅蓮・大紅蓮の氷にとぢられ、或時は餓鬼・飢渇の悲しみに値ひて、五百生の間飲食の名をも聞かず。或時は畜生残害の苦しみをうけて、小さきは大きなるにのまれ、短きは長きにまかる。是を残害の苦と云ふ。或時は修羅闘諍の苦をうけ、或時は人間に生まれて八苦をうく。生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦等なり」〔三八二頁〕 
とあります。大聖人様は私たちのことを、無明の酒に酔っていると仰せになります。無明とは、明らかではない、ということで煩悩によって迷っている姿を言います。そのことを酔っぱらっている状態である、と譬えられています。六道は、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の六種のことです。六道輪廻という言葉を聞いたことがあると思いますが、この六種類の中をクルクル回っているのが凡夫の姿なのである、ということです。そしてそれは苦しみの世界である、とされます。天界は天上界とも言いますが、天にも昇る気持ちなどといっておられませんね。地獄界や餓鬼界よりはましかも知れませんが未だ苦界の中にあるのですから。地獄界も多くの種類があることを示されております。ここでは四種類の地獄が挙げられております。焦熱と大焦熱、紅蓮と大紅蓮です。焦熱は熱い地獄。紅蓮は寒い地獄です。その他にも餓鬼界の苦しみや畜生界の苦しみが述べられております。そして、人界の苦しみで四苦八苦を説かれております。ですから、四苦八苦は人界の衆生だけが受ける苦しみであることが分かります。当たり前といえば当たり前のことですが、犬様が、ワシも年を取ったもんだ、とは言わないでしょう。犬仲間でワンワンほえているのはそのような話をしているのでしょうか。

 話を戻します。考えてみれば、生苦を感じるのは私たち人界の衆生だけです。そういたしますと、生苦を知ることができるのも人間だからこそなのです。ですから、生苦は人間界に生まれたことを意味する苦しみであるといえます。人界に生まれることができたことを喜ぶか、それとも地獄界や餓鬼界に生まれた方が良かったか。そういう問題でもあります。そのように考えますと、大聖人様が、四条金吾に対して、
「苦をば苦と悟り楽おば楽と開き、苦楽思い合わせて南無妙法蓮華経」
と仰せの意味が少し分かるような気持ちがいたしますが如何でしょうか。

 四苦の残り、老苦・病苦・死苦はすでに経験のあるところだといえます。老いる苦しみや病の苦しみ、肉体的な苦しみは精神的な苦しみでもあります。病を得て、年を重ねて死を迎えますが、死苦は死の苦しみですが、死を迎える苦しみ、つまり死に対する不安を表しているように思います。

『生死一大事血脈抄』には
「所詮臨終只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候。悦ばしいかな一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し」五一三頁
引用される経文は法華経の勧発品二十八です。「この人が亡くなったならば、千仏が手を差しのべてくださる。恐れることもなく悪道に堕ちることもない」と示されております。

 この人とは日蓮大聖人様の教えを純真に正直に信じ大御本尊様に南無妙法蓮華経と唱える私たち法華講衆のことです。大聖人様が「歓喜の感涙押さえ難」と仰せ下さるのですからこれほど有り難いことはありません。死の不安を乗り越えるのは南無妙法蓮華経と唱えることです。唱題の功徳を信じ進んでまいりましょう。

 来月は愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦について学びたいと思います。寒くなりますが風邪などひかぬようご自愛下さい。

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