日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成19年12月2日 広布唱題会

祈祷抄

〜 御本仏の確信 〜

祈祷抄(御書六三〇頁)
文永九年 五一歳

祈祷抄 (新編御書六三〇頁)

大地はさゝばはづるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず


 『祈祷抄』は、最蓮房からの、「祈り」についての質問にたいするご返事の御書です。文永九年(一二七二年)、佐渡の国にてお認めになられました。日蓮大聖人様は五十一歳の御時です。先月でも触れましたが、最蓮房は比叡山で修学に励んだ学僧で、後に日蓮大聖人様の弟子となった方です。ですから、日蓮大聖人様の教えを学び成仏の功徳を受けようとする真剣な修行の姿がうかがえます。

 当抄では、華厳宗や天台宗などの祈りで、どの宗の祈りが霊験を現すであろうかという質問に対して、どの宗派も仏の説かれたものであるから、祈ることはできるが、法華経の祈りのみが真実の祈りであり、願も成就することを述べられています。さらに、承久の乱を例に引かれ、誤った教えによる祈りでは、祈る人も祈らせた人も功徳どころか身を滅ぼす結果になったことを述べられ、邪法邪義の恐ろしさを教えて下さっています。

 拝読の箇所は、御本仏の御確信を示されるところです。意味は、「大地を指さしてはずれることがあったとしても、大空をつなぐことができる者がいたとしても、海の水が満ちたり引いたりしないことがあったとしても、また太陽が西から昇るようなことがあったとしても、法華経の行者の祈りの叶わないことはあり得ない」というものです。つまり、大地を指さして、それが外れることはあり得ず、また、大空をつなぐことのできる者などいるはずもなく、海の干満がなくなることもあり得ない。さらに、太陽が西から昇ることも絶対にあり得ません。そのような絶対に起こるはずのないことが起こったとしても、御本尊様への祈りは叶う、と仰せになるのです。

 私たち法華講衆は、この日蓮大聖人様の御確信のお言葉を素直に信じることによって、はじめて大きな功徳を受けることができます。

 この御本仏の御確信を我が確信として、
「とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき」
とありますように、強盛に祈るならば、日寛上人が
「故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」
と仰せ下さる如く、大きな功徳を受けられのです。

 私たちは、御本尊様に対する絶対の信心と、自行化他にわたる実践に、勇気をもって取り組むことによってこそ、どのような祈りも叶うことを確信し精進を重ねてまいりましょう。

 師走を迎えあわただしい日々が続きます。世間に流されずに、御本尊様一筋に進むならば道は開けます。来年の「躍進の年」を明るく迎えることができるか否かは今月の精進にかっかております。互いに励みましょう。そして、来る年の飛躍を期そうではありませんか。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺