日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年1月13日 御報恩御講拝読御書

十字御書

十字御書 (新編御書一五五一頁)
弘安四年一月五日 六〇歳

十字御書 (御書一五五二頁)

今日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出だせり。これをもってをもうに、今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。又々申し候べし


■通解 〜「御本尊様を信仰する功徳と謗る罰」〜

今日の日本国の状況を考えるならば、日蓮が立正安国論で示した如く、法華経を敵としている故に、災難を遠く千里先から招きよせている。この現証をもって考えるならば、今日蓮の教えに従って法華経を信ずる人には、幸いが万里の遠きところからも集まってくる。映る影は体があってのものであり、法華経を敵とする人が住む国は、体と影が離れないように、災難に襲われるのである。法華経を信じる人は、栴壇という香ばしい樹木がさらに香ばしくなるように、功徳を増すのである。


■解説

弘安四年一月五日の御書です。当抄の冒頭には

正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり

とあります。この正月を『秋元殿御返事』では

正月は妙の一字のまつり (三三四頁)

と御指南下さっております。つまり、お正月は御本尊様のお祭りである、という意味です。重須殿女房が、ことのほか正月を大切にされ、日蓮大聖人様にわざわざ十字を御供養をされる理由がおわかりいただけると思います。そして、その信心を「功徳が重なり回りから大切にされるようになる」とお誉めいただけるのです。

 当抄をお認めになられた弘安四年の五月二十一日に「弘安の役」ありました。西暦では一二一八年。元からの使を博多において切り捨てたのが二年前の弘安二年七月。以来、幕府はいつ来てもおかしくない蒙古国の来襲に備え、それまで以上に九州や対馬に御家人や兵士を派遣しました。そして、防塁を築き戦争の準備をしました。また、真言宗等の邪教に命じて蒙古国調伏の祈祷をさせておりました。このような騒然とした中にある鎌倉の人々の心情はどのようなものであったでしょうか。

 時代は違いますが、万葉集に次のような歌が残されております。
防人(さきもり)に 行(ゆ)くは誰(た)が背(せ)と 問(と)ふ人(ひと)を 見るが羨(とも)しさ 物(もの)思(も)ひもせず
現代語に訳すと、「今度防人に行くのはどなたのご主人ですか、と尋ねる人がいる。そのような人を見るのは羨ましい限りである。なんの思いもしない人だ」となります。夫を戦場に送らなければならない妻の悲哀を詠んだもので、そのようなことに縁のない人は羨ましい限りであるという意味ですね。戦場に赴く夫は残こした妻や子を思い、送る妻や子もまた夫や父親のことを思い共に辛く苦しい心です。立正安国論で、大聖人様は

仁王経に云く 人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し(御書二四九頁)

と仰せです。この御文を現代語に訳しますと、「仏の教えを破ったために、親孝行な子供に恵まれず、親兄弟の仲は悪くなり諸天も助けてはくれない。病魔に常におそわれ、生きている限りどのような所に行っても災難につきまとわれる。生きているときばかりではなく死後には地獄界や餓鬼界や畜生界に生まれ苦しみを受けるであろう。たまたま人間として生まれてきたとしたとしても、兵士や奴隷の身となって苦しみを受けるであろう。響きや、影のように、夜灯りの下で字を書き、灯の消えた後にも書いた字は消えないように、現世で犯した謗法の悪業の罪は消えないのである」となります。謗法の罪の大きさを教えて下さる御文です。したがって、防人として派遣される身になること自体が前世の謗法の因縁なのであることを知らねばなりません。兵士となる身は決して良いことではない、というのが仏の教えなのです。また、それを引用されて仰せになる大聖人様のお心なのですから、私たちは、戦争をしなくてもよい社会、兵士などいらない社会の実現を願って信仰をしなくてはなりません。軍事力やそれを行使する戦争は大聖人様の立正安国論のお心に背くものです。それは「仏教を壊らば」の姿になります。ですから私たちは、目標を高く掲げ、苦難はあるけれども真の世界平和を願って進まなくてはならないのです。それが信心であり、そこにこそ成仏があります。

 さて、他国侵逼難に直面した人々が苦悩に沈んでいたことを、南条時光に与えられた御書には、

日本国の楽しき人々は、蒙古国のことをききては、ひつじの虎の声をきくが如し。また筑紫へおもむきていとをしきめをはなれ子をみぬは、皮をはぎ、肉をやぶるがごとくにこそ候らめ」(一四七九頁)

と示されます。

 この上野殿御返事が認められた背景を少し説明します。この御書は弘安三年七月二日のものです。前年の弘安二年の夏から秋にかけて起こった「熱原の法難」において、南条時光は熱原方面の法華講衆をかくまいました。上野郷の地頭という立場にありながら、幕府の信仰の誤りを指摘し、南無妙法蓮華経を唱えることを仰せになる日蓮大聖人様の信仰を堅く守る法華講衆をかくまったのですから、幕府の覚えがめでたいはずはありません。

 鎌倉幕府は、「日蓮大聖人の信徒」として南条時光を要注意人物として扱っておりましたから、蒙古国の来襲に備える西国への出兵の命はおりませんでした。このことは鎌倉武士としては不名誉なことであったと思われます。

 一方の、「日本国の楽しき人々」は幕府の高官や栄達をした人たちのことで、兵を指揮する大将なども含まれます。いわば体制側に立つ者であるといえます。その人たちは、執権からの覚えもめでたく信頼もされておりました。そのために妻子が別れ別れになって遠い九州の戦場に派遣されるようになったのです。現身に身を裂かれる苦しみの世界です。

 南条時光は、世間で言われるような栄達にはほど遠い身であったかも知れません。一般にいうところの地位や名誉はなかったかも知れません。しかし、御本尊様に全てをお任せする、という確信は誰にも負けませんでした。その確信を実践したことにより、派遣軍からは外されましたが、妻子と別れ別れになるという、

いとをしきめをはなれ子をみぬは、皮をはぎ、肉をやぶるがごとく

の苦しみからは逃れることができました。この姿に御本尊様の功徳が現れております。思いますに、大聖人様は南条時光の姿を通して、私たちに御本尊様を根本にした信心の功徳を教えて下さっているのです。ゆえに、私たちは、日蓮正宗富士大石寺の法華講衆として、南条時光の後輩として、御本尊様のことを第一に、御本尊様を根本として修行に励むならば徳あふれる人生をおくることが出来る、と強く申し上げるものです。

 反対に、御本尊様をないがしろにして、愚痴を言ったり悪口を言う姿勢であっては、いくらお題目を唱えていても

わざわいは口より出でて身をやぶる

と仰せの如く、決して良いことは起こりません。身を破ることのないように互いに注意したいものです。

 本年は躍進の年です。年頭に御法主日如上人は「決意を固め、志を一つにして、いま為すべきことを為すことであります」と御指南下さいます。為すべきこととは折伏です。これ以外にはありません。折伏を難しく考えることはありません。日頃の信心修行で感じたことを素直に伝える修行が折伏です。間違った信仰や誤った思想に執われている人たちに向かって、御本尊様を信じて体験したこと伝えるだけでも立派な折伏です。総本山富士大石寺に御登山をして、大御本尊様の御開扉を戴いたときの感動を話すことが折伏なのです。

 苦しみにもがいている人たちにとって、私たちの体験や感動や感激を聞くことが何よりの薬になるのです。私たちにとっては当たり前のことであっても、苦悩のそこにある人たちには大いなる救いとなるのです。だから、御本尊様の功徳を自信を持って語ることにつきます。とにもかくにも話しをしてゆく、これだけで十分なのです。御法主上人の御指南のもと、明年に向かって躍り上がる心で進んでまいりましょう。

 みな様が、毎月奉修されます日蓮大聖人様への御報恩の御講に参詣するのは、月に一度は御本尊様のために、という強い思を表す修行の姿であるといえます。どのようなことがあっても、「御本尊様第一」を実践する日が御報恩御講の日です。障魔に負けないで御本尊様を根本にした修行に励みましょう。その修行に無量の功徳が具わることを申し上げ本日の御講と致します。ご参詣のみな様のご精進とご多幸をお祈りします。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺