日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年7月6日 広布唱題会

草木成仏口決

〜 成仏 〜

草木成仏口決(御書五二二頁)
文永九年二月二〇 五一歳

草木成仏口決 (新編御書五二二頁)

我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。(乃至)草木成仏は死人の成仏なり。此等の法門は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢へて忘失する事なかれ


プレ大会の成功おめでとうございました。異体同心の信心の一分を示すことが叶ったと思います。多くの困難がありましたが、困難を乗り越えることで功徳を受けることができる、との現証を体験することも出来ました。有り難いことです。結集の御指南を賜った日如上人に対し奉り、ただ感謝です。七五〇年の慶事を控え、強い確信を掴むことができたことも有り難いことでした。素直に正直に進んでまいりましょう。

さて、拝読の御書は、私たち凡夫にとって、難信難解の深い深い教えである一念三千の御法門を、わかりやすく教えて下さるために、「塔婆供養」を例にとって示されるものである、と拝することが出来ます。つまり、私たちの成仏を、「塔婆供養」という現実の行為を挙げることで、現証をもって信じなさい、と示されているのです。

「草木成仏は死人の成仏なり」の「草木」とは、木を削って作った塔婆を指します。塔婆(板)にお題目を認めることで板そのものが法華経のお題目の力で仏になることです。ゆえに、塔婆に亡くなった人の戒名や俗名等を認めることで、死人が成仏することを「草木成仏は死人の成仏」と仰せなのです。一念三千の深い教えの上から「塔婆供養」が行われていることを知らなければなりません。

さらに、この法門は難しい法門であるから知る人は少ないのである、と述べられます。朝夕に読誦する方便品には「唯仏与仏」と説かれ、一念三千の極理は、「唯だ仏様と仏様」の間で理解することが出来るとあります。ですから、難しい一念三千の法門を理解することが出来ない、と嘆くことはありません。嘆かなくてはならないのは、日蓮大聖人様の教えを素直に信じることが出来ない心であり、行いです。

また、この御文から日蓮大聖人様御在世において、亡くなった人のために塔婆を建立して追善供養をおこなっていたことが明確になります。当時の門下で、塔婆供養が行われていたのであり、それはとりもなおさず一念三千の極理を理解することなく塔婆を建立して追善供養に励んでいても、亡き方の成仏は間違いのないものである、ということなのです。繰り返しますが、ただ大聖人様の仰せを素直に信じることに尽きます。

この御文が根幹にありますから、私たち日蓮正宗富士大石寺の信徒は、亡き方のために塔婆を建立して追善供養に励むのです。塔婆供養は日蓮大聖人様が教えて下さった成仏のための修行なのです。一念三千の法門がわからなくとも、来世の成仏を願って塔婆を建立することにより、亡き方が来世は善きところに生まれ合わせることが叶うのです。

ところが池田大作元総講頭は、「塔婆供養は僧侶の金儲けの手段である。江戸時代の檀家制度の悪弊である」といって、多くの学会員を惑わすばかりか無間地獄への道連れとしております。このような言辞は、学会員を惑わすばかりか、「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」と仰せになる日蓮大聖人様のお言葉を否定するものです。日蓮大聖人様の教えを否定することは即「堕地獄」であることはいまさらいうまでもありません。間違った師に従うことがいかに恐ろしいことか。幸いに、私たちは日蓮大聖人様より唯授一人の血脈を御所時される代々の御法主上人のもとで修行に励むことが出来ます。彼我の相違を思うとき、慈悲の心を起こし、折伏を誓うのみです。

今月はお盆の月です。普段は亡き方のことなど忘れているような人であっても、追善供養の心を起こす月です。この機会を捉えて、真実の追善供養を教えてゆく行為も立派な折伏です。自らも実践し、他をも導いて成仏の境界をより確かなものにしてまいりましょう。折伏は一切を解決する確かな修行です。

「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
(四菩薩造立抄・一三七〇頁)

暑い季節です。体調を崩しやすい季節です。暑さに負けず元気になる秘訣は唱題と折伏です。ご精進をお祈りいたします。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺