日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年8月9・10日 御報恩御講拝読御書

上野殿御返事

上野殿御返事 (平成新編御書七四五頁)
文永一一年一一月一一日 五三歳

上野殿御返事 (御書七四五頁)

此の経を持つ人々は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給ふなり。いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信ぜさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし


【通解】

(亡くなった後は)法華経を持つ人々は他人であっても同じ霊山に参詣しそこで再び会うことが出来ます。まして、先だった聖霊も貴方も同じ法華経を信じておられるのですから、同じところに生まれあわすことが叶います。


【語句】

此の経=ここでは法華経のこと。
霊山=霊山浄土のこと。一般に霊山とは、法華経が説かれたインドの霊鷲山のことをいうが、日蓮大聖人様は『御義口伝』で、
「宝処とは霊山なり。日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一同に皆共至宝処なり。共の一字は日蓮に共する時は宝処に至るべし、不共ならば阿鼻大城に堕つべし云云」(一七四七頁)
また、
「霊山とは御本尊なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処を説くなり云云」(一七七〇頁)
と仰せである。つまり、日蓮大聖人様の教えのままに御本尊様の信心をする所が霊山浄土である、ということ。さらに、死後、すなわち来世においても、大御本尊様の前に生まれ合わせ、共に信心修行をすることが叶う、とのお言葉と拝する。
故聖霊=時光の父である南条兵衛七郎のこと。
殿=南条時光を指す。


☆南条時光略伝

○南条家
本領は伊豆の国南条。この地は、平治の乱で破れた源義朝の嫡子であった頼朝の流罪地で、頼朝の監視役を平家から命ぜられた北条時政の領地であった。
頼朝はこの地で時政の娘政子と結婚し、北条家の後ろ盾を得、鎌倉幕府を開くもとになった。
南条家はその地で、「北条」・「南条」と並び称される家系であり、古くから栄えていた。頼朝が挙兵するにあたって少なからず功績があったと思われる。
鎌倉幕府が成立した後は、御家人として重用され、時光殿の父親である兵衛七郎が富士上野郷の地頭として派遣された。上野郷の地頭となったことによって、「上野殿」と称されるようになった。上野郷には総本山のお膝元である「上条」や、妙蓮寺がある「下条」。また、白糸の滝がある「狩宿」などがあり、北条一門の古くからの領地であった。

○地頭の役目
地頭の役目は、領内の農業生産を督励しかつ年貢を徴収することや、領内の治安を維持するために警察権や裁判権を持つ領主としての立場がある。この地頭は鎌倉幕府にあっては幕府が直接任命し罷免も行った。つまり、領主と言っても、幕府の出先機関の役人としての性格が濃厚である。領内の任務の他に、御所を護る「上番役」や鎌倉の治安にあたる「警固番」があり、一年の内3ヶ月間は鎌倉か京都で任務に就いていたようである。

○地頭職
地頭職は今風に言えば中間管理職。領地には種々の仕事に就いている地下人がおり、その監督も役目の一つであった。また、幕府からは納税を始め、領地内外の道路工事などの仕事も命じられていた。

○南条家の入信
南条家の入信は、番役で鎌倉に出仕をしていたときであると考えられる。先ず始めに時光の父兵衛七郎が鎌倉で日蓮大聖人の信仰を始めた。とはいえ、鎌倉幕府の御家人であり、しかも、幕府領の地頭職にある南条兵衛七郎が日蓮大聖人様の信仰をするにはそれなりの決意が必要であった。

○南条兵衛七郎の病気
ところが、文永元年の暮れに、兵衛七郎は重い病におかされてしまった。その病気見舞いと励ましのお手紙を大聖人様はお認めになる。
1)文永一年・十二・十三【慰労書】〔南条兵衛七郎御書〕(新編三二一頁)この御文で、これまでの念仏の信仰を捨て、法華経の信仰をするようになった兵衛七郎にたいし、如何なることがあろうとも法華経を捨ててはならない、法華経を捨てるようになれば無間地獄に堕ちることになる、と御指南をされる。そして、
「大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後世をばさうるなり。いかに申すとも法華経を捨てよとたばかりげに候はんをば御用ひあるべからず」
と、法華経の信仰を貫くことの難しさを教えて下さっている。
しかし、末法の法華経の行者である日蓮の弟子であるならば、必ず成仏が叶うから心配はない、と励ましておられる。このお手紙により、兵衛七郎をはじめ南条家の人々は念仏信仰をきっぱりと打ち捨て、日蓮大聖人の教えて下さる法華経の信仰にさらに精進するようになった。
ときには、病体をおして兵衛七郎は折伏に娘の嫁ぎ先である重須地頭である石河家にもおもむいたであろう。また、夫人の実家である松野家にも折伏の足を運び、入信に導いている。その時には、必ず長男の七郎太郎や次男の時光を供として連れて行った。そして、大聖人様が御指南下さるとおりに、「念仏無間、禅天魔・律国賊、真言亡国」を諄々と説き聞かせ、一族をことごとく日蓮大聖人様の信者にしたのである。
病が進んでからは、病床の父兵衛七郎の枕元で、母尼を中心に、九人の子供たちが南無妙法蓮華経と唱え、父の病気平癒を真剣に祈ったであろうことは想像に難くない。
本人の強い信心と、家族の祈りと看病のかいがあって、このお手紙をいただいてより三ヶ月の命をながらえ、文永二年三月八日に兵衛七郎は亡くなる。亡くなったときの年齢は伝えられていないが、若くしての臨終であった。

○富士上野に墓参 
兵衛七郎が亡くなったとの連絡を受けた大聖人様は、鎌倉から富士上野の墓所まで足を運ばれ、墓前で読経唱題をされ追善供養をされたことが
「さては故南条殿は久しきことに候はざりしかども、よろず事にふれて、なつかしき心ありしかば、乃至 はかをば見候ひぬ」
との御文からわかる。

○母尼を励まされる日蓮大聖人様の温かいお言葉
このとき、時光は七歳であった。お腹の中に一人、その他八人の子供をかかえ、残された母尼の心境はいかばかりであったか。
そのような中で認められたお手紙が、
「抑上野殿死去の後はおとずれ冥途より候やらん、きかまほしくおぼへ候。ただしあるべしともおぼへず」
という御文で始まる、『上野殿後家尼御返事』である。この御文で
「いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給ふべし。古徳のことばにも、心地を九識にもち、修行をば六識にせよとをしへ給ふもこれなり」
と仰せになる。亡くなられたご主人は法華経の信仰をして臨終を迎えたのであるから「即身成仏は疑いなし」と慰められ、一方では「追善供養をすること」の大切さを御教示である。また、「従藍而青」の御指南はその後の南条時光のことを期待すると共に予測したものと思えてならない。
若くして世を去った兵衛七郎ではあったが、残された婦人や子供たちが法華経の信仰を継ぎ、今日まで南条家の名を残すもととなったことを考えれば、人生は長い短いで幸不幸を計ることは出来ない。後年の南条時光の信仰は父の病気を通して鍛えられたものである。幼い中でも、日蓮大聖人様の信仰のすばらしさを両親の姿から学んだのである。
南条家の人々は、信仰の力により、逆境を見事に克服し、永遠の幸福へと転換したのである、といえる。

○成長した時光
さて、この時期、大聖人様は竜の口法難から佐渡ご流罪へと大変に厳しい時をすごされており、南条家とのご縁も少し遠くなっておりましたが、文永十一年五月に身延へ入山されるや、時をうつさず母尼は時光兄弟を使として大聖人様のもとに送りました。そして、九箇年の間に、逞しくも純粋な青年信徒に成長した時光殿の姿を見た大聖人様は、
『南条後家尼御前御返事』七四一
 「かまくらにてかりそめの御事とこそをもひまいらせ候ひしに、をもひわすれさせ給はざりける事申すばかりなし。こうへのどのだにもをはせしかば、つねに申しうけ給はりなんとなげきをもひ候つるに、をんかたみに御みをわかくしてとゞめをかれけるか。すがたのたがわせ給はぬに、御心さえにられける事いうばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候とうけ給はりて、御はかにまいりて候ひしなり。又この御心ざし申すばかりなし。今年のけかちにはじめたる山中に、木のもとにこのはうちしきたるやうなるすみか、をもひやらせ給へ。このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候。あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候へ。妙荘厳王は二子にみちびかる。かの王は悪人なり。こうえのどのは善人なり。かれにはにるべくもなし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
と仰せになり、時光を讃える書を母尼に与えております。

○時光殿の強情な信仰は母上野尼の教えによる
時光の成長には、母尼の薫育が大きかったのです。後年になるが、母尼が頂いた「上野尼御前御返事」には、
「抑御消息を見候へば、尼御前の慈父故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまちなり。然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云」(一五七四頁)
とあります。この御文から、母尼が大聖人様の教えをしっかりと拝し、謗法の意義を的確に理解し、亡き親の追善供養を大聖人様に願い出ることを実践をされていたことが知れます。
つまり、時光が後年大聖人様の信仰を強盛に貫くもとになったのは、若くして亡くなりはしましたが、それまでの念仏の信仰を潔く投げ捨てて法華経の信仰を持ち、さらに、病身を押して親戚縁者の折伏に奔走した父の姿であり、また、夫を早く亡くしたとはいえ、日蓮大聖人の教えこそ、末法の衆生が成仏することの出来る唯一の正法であると確信し実践した母尼の薫陶にあると言えます。

○南条時光の信仰
一、日蓮大聖人様を末法の御本仏と拝する信仰。
二、日蓮大聖人様の御魂は本門戒壇の大御本尊様に留められていることを確信し、大御本尊様を外護する信仰。
三、日興上人を大聖人様より唯授一人の血脈をお受けされたお方であることを確信し、御法主上人を外護する信仰。
四、日蓮大聖人様、日興上人の仰せのままに、広宣流布に身命を捧げることを実践する信仰。
 

 私たちは、信心の上では南条時光の末裔です。自信と誇りをもって、正直に信仰に励もうではありませんか。常に「慢心」を戒め、「怨嫉」に注意し、「自行化他」の信仰を貫けば、心配はいりません。平成の時光になれます。

 いま少し暑さは続きますがお体を大切にしてご精進下さい。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺