日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年8月1日 永代経

『南無妙法蓮華経』とお題目を唱え、
成仏を願う皆さまに

『南無妙法蓮華経』とお題目を唱え、成仏を願う皆さまに


【 T 様 への手紙 】

 この度は佛乗寺にお参りをいただき有り難うございます。お申し出の御回向を勤めさせていただきます。

 ただ、本日のお経にあたり、御経料とか、お布施はお預かりしないことになっております。以下にその理由を申し述べます。

 御経料、あるいはお布施を本宗では御供養(ごくよう)と申しております。ちなみに、このお言葉は日蓮大聖人様がお使いになられているものを用いております。この御供養は、佛乗寺の檀家からはお預かりいたしますが、檀家以外の方からはお預かりしません。ここに本宗の信仰の特徴があります。

 ご承知のように、日蓮大聖人様は、鎌倉時代の貞応元年(1222年)に千葉県にお生まれになりました。そして、幼少のころより修行に励まれ、法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を始めて唱へ出されました。そして、当時の仏教各派の信仰を改め、本来の信仰に立ちかえることが大切である、と宗教改革(語弊があるかも知れませんが、わかりやすく申し上げるためにあえてこのように書きます)を開始されました。そのことを記され、実践のための書として『立正安国論』という書物を著されました。題号の『立正』とは正しい教えを立てる、という意味です。つぎの『安国』は国を安んじることです。つまり、正しい教えによって国を平和にすることが叶い、そこに住む人々も幸福な生活を営むことができる、という仏様の教え、とりわけ法華経の理念を表題としたものです。

 では、なぜ『立正安国論』を認めて幕府を諌暁されたかといえば、当時の既成寺院は、将軍や執権をはじめ幕府要人の帰依を受け、経済的に安定した基盤を築いておりました。そして、本当に信仰を必要としている人々のことより、自らの栄達や保身を第一にする姿勢に終始していたからです。

 僧侶たちは、仏教本来の目的である民衆救済を忘れ、伽藍仏教(がらんぶっきょう)に陥ってしまったのです。伽藍仏教を換言すれば、権力に媚び本当に信仰を必要としている人々を切り捨てた姿のことです。(厳しい言い方になりますが、現在にも通じます。当時の寺院は、幕府の政治機構の中に組み入れられていた一面もあります。人々の心の拠り所であるはずの寺院が、権力の側に立ったとき、悲劇は起こります)

 幸いなことに、平成の今日は日本国憲法で信教の自由が認められており、国家権力と結びついた寺院や教会はないことになっております。(ただし、政治と宗教の関係でいえば、創価学会が公明党という政党を操り信教の自由を侵している恐れがある、との指摘があります。これは同党の委員長であった竹入義勝氏や同じく矢野純也氏の発言です。二人の元委員長の発言ですから重いものがあります。彼らの証言から、創価学会という新興宗教も、池田大作という一人の名誉欲のために多くの会員が犠牲になっている、と読み取れます。公の政党を使って、自己の保身を計るようであれば罪は大きいといえます)

 創価学会のような新興宗教を含め、多くの宗派が人々のことを省みない、という点では、今日と日蓮大聖人様の時と少しも変わりません。むしろ、もっとあからさまになっているように思います。例えば、たびたび新聞等で報道されます戒名料や御経料のことを考えてください。ある宗派の寺院では、葬儀の際に戒名を付けるにあたって、故人の信仰ではなく布施の多寡で決めております。その額も何百万円というもので、驚くほど高額です。中には、食堂のメニューのように、院号は○○万円、大姉号は○○万円とまるで大切な戒名を品物のような感覚で扱う始末です。最低でも数十万円の布施を求め、「地獄の沙汰も金次第」という状況に、心ある人たちは眉をひそめ、故人のために読経をし、追善供養に励もうという信仰心すら奪っているのが現状です。

 また、このような例も紹介されておりました。長い患いの後臨終を迎え、悲嘆に暮れている遺族が、せめて僧侶に読経を、と思い立ち寺院に依頼したときのことです。依頼に応える前に、「お布施は・・・・」と言ったそうです。僧侶の修行は、亡き方の成仏を祈ることも含まれております。ご信徒の願を受けて、葬儀や法事の導師を勤めるのも修業であって仕事ではありません。そのことを忘れ「糊口の道」とした例です。残念ながらこのような宗派ばかりになっているのが今日の姿です。

 日蓮大聖人様は、そのような寺院や宗派を批判し、仏教本来の姿に立ちかえりましょう、と人々に訴え正しい信仰を勧めました。その流れを受ける日蓮正宗ですから、本宗の檀信徒(ご信徒)以外の方から、お布施(御供養)をお預かりしないのです。

 しかし、お寺を頼ってきてくださった方に門戸を開く上から、読経唱題をさせていただき、亡き方への御回向をさせていただきます。先にも申しましたが、このことは私たち僧侶の修行でもある、と心得るからです。本宗の信仰の意義をご理解いただき、御本尊様に手を合わせ、僧侶とともに南無妙法蓮華経と唱へ、ご両親をはじめ御先祖の御回向にお励みいただきたいと思います。

 T様も日蓮宗の信仰をされているお家にお生まれになったそうですが、小さいときにお祖父さんやお祖母さん、またお父さんやお母さんに連れられてお寺にお参りになったことがあると思います。その時に、ご住職から、日蓮大聖人様のことや『立正安国論』のことをお聞きになった覚えがあるはずです。

 そのような縁(えにし)があるから、本日佛乗寺にお参りになることができたのだと思います。宗派が違っても宗祖日蓮大聖人様が導いて下さったものであると信じます。
そこで、お考えいただきたいのは、南無妙法蓮華経と唱え追善供養をするにあたって、750年前に日蓮大聖人様が教えて下さったままに信仰を持つことが大切である、ということです。ここが実は故人にとっても残された者にとっても重要なことなのです。日蓮大聖人様は、
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
と仰せです。意味は、「日蓮の弟子(信徒)となって、南無妙法蓮華経と唱えるならば、日蓮が教えるように修行しなさい」ということです。この、「日蓮が如く」というお言葉を心に留めていただきたいのです。また、
「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」
と仰せです。これは、「日蓮と同じように、南無妙法蓮華経とお題目を唱えていても、日蓮の教えるようでなければかえって困ることになります」というものです。
ですから、宗祖を日蓮大聖人様を仰ぎ、日蓮宗と名乗っても、日蓮大聖人様から認められないのでは何の意味もありません。

 ご承知のように日蓮大聖人様の晩年は身延山にあって、末法の人々を救済するための教えを説かれ、弟子檀那を導かれる日々でした。そして御入滅に際して6人の高弟の中からお一人をお選びになり後継とされました。6人のお弟子は、日昭・日朗・日興上人・日向・日頂・日持という方々です。一般には六老僧(ろくろうそう)と呼ばれております。弘安五年(1282)10月の御入滅にあたり、この六老僧の中から唯お一人を撰び出され、日蓮大聖人様がこれまでに示された教えの全てを御付嘱されました。その唯お一人の御方が日興上人です。つぎに挙げる御文は日蓮大聖人様が日興上人様に教えの全てと身延山久遠寺の別当(住職)を譲られた御遺言です。


『日蓮一期弘法付嘱書』        弘安五年九月  六一歳

 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
  弘安五年壬午九月 日                    日蓮花押    
                         血脈の次第 日蓮日興     


『身延山付嘱書』          弘安五年一〇月一三日  六一歳

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年壬午十月十三日              武州 池上       
                                日蓮花押    

 このように明らかな御文があり、なお、日蓮大聖人様が定められたことを寸分も違わずに守っているから日蓮正宗は間違いのない教えである、と胸を張って申し上げることが出来ます。

 残念ながら、大聖人様亡き後、身延山の地頭であった波木井実長は、「四箇の謗法(しかのほうぼう)」といって、日蓮大聖人様が最も厳しく戒められていた過ちを犯すようになりました。実長の犯した四箇の謗法は、@釈迦仏像の造立 A三島明神への参詣 B郷内に念仏の塔を供養 C九品念仏の道場建立というものです。これらの信仰上の誤りについて、日興上人は大聖人様から仏法の一切と身延山久遠寺をお受けしたお立場から、再三にわたって注意善導をされました。しかし、驕慢(きょうまん・おごり高ぶる心)に陥り、しかも六老僧の一人である日向にそそのかされ支配された心では、日興上人の善導に耳を傾けることはできず、謗法の姿をますます顕にし、ついには日興上人に対して、
「貴方と私の立場は、日蓮大聖人に縁をしたのが早いか遅いかだけの違いであって、信仰の上からは同じ立場である」
などというようなことを言い始めたのです。

 ことここに至っては、もはや善導することは不可能であり、しかも、「地頭不法ならん時は我が魂このやまに住せず」との日蓮大聖人様の御遺誡もあり、日蓮大聖人様の7回忌をすまされた翌正応2年(1289年)1月に身延山を離れ富士山の麓、上野の地に大石寺を創建されたのです。

 以来750年の間、日蓮正宗は日興上人以来代々の御法主上人に法統連綿として伝えられる日蓮大聖人様の真実の教えを拝し、広宣流布(こうせんるふ・世界平和のこと)を願って修行に励んでおります。

 この修行こそ「日蓮がごとくせよ」の修行です。ですから、日蓮大聖人様の仰せのままに信仰をするならば、
「貴辺は日本国第一の孝養の人なり」
と仰せいただける身分になることができます。

 長々と書いてまいりましたが、同じように南無妙法蓮華経と唱え、宗祖を日蓮大聖人様と仰いでいても、成仏不成仏の違いがあることを知っていただきたいのです。その上で、T様には日蓮大聖人様の教えを正しく守り、日本で第一番の親孝者におなりいただきたいと念じます。

 本日の仏縁を大切にしてくだされば、功徳も深まり、亡き方ばかりかご遺族も成仏に導かれるものと確信をいたします。

 文は意を尽くさず、と申します。一度お会いしてお話をさせていただくことができればと思います。 勝手なこと書き連ねましたがご容赦下さい。


以 上

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