日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年8月3日 広布唱題会

立正安国論

〜 絶対平和 〜

立正安国論(御書二四九頁)
文応元年七月一六日 三九歳

立正安国論 (新編御書二四九頁)

仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と


 立正安国論の九番めの問答です。仁王経を引用され、謗法による報いを教えて下さる所です。

通解しますと、
「仁王経の嘱累品にはつぎのように説かれています。『仏教を破壊した人には親孝行な子どもは生まれない。また、親子、兄弟(姉妹)、夫婦の六種の親族と仲違いし、諸天の助けを受けることも出来ない。常に病魔に襲われ、どこに行っても災害に見舞われる。死んでからは地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪道に生まれるであろう。たまたま人間として生を受けるようなことがあっても、兵士や奴隷の身分となって苦しみをうけることになる。響きのように、影のように、よる灯火の下で字を書いたとき、灯火が消えた後も字は残るように、現世で犯した謗法の罪は消えないのである』」
となります。

 お経文では、兵士となるのは過去の謗法の罪、と説かれています。昨今頻発する若年層の犯罪に対して、軍隊でもつくって鍛え直さなければならない、ということを広言してはばからない輩がおります。しかし、仏様の眼で見ると、兵士の集まりである軍隊は、過去世において仏法を破壊した罪人の集まり、ということになります。そして、火が消えても字が残るように、その犯した罪は消えないのである、と仰せです。

 したがって、「軍隊でもつくって・・・」という発想は、「仏法を破壊して罪人をつくって兵士として送り込もう」という言葉と同義になってしまいます。仏様の眼で見ると恐ろしいことなのです。立正安国論を一度でも拝したことのある方の言う言葉ではありません。仮りに、精神を鍛える、というのであれば、「南無妙法蓮華経」と唱へ、御本尊様の前で修行をすることを教えるのが日蓮大聖人様の弟子檀那の役目です。

 八月は、六日に広島に原爆が投下され、九日には長崎に、そして十五日には敗戦と、辛い思いが連続します。辛い思いは私たちだけではありません。国内外の多くの方々の犠牲を忘れてはなりません。大きな犠牲を払って私たち日本人は、その後六十三年の間他国との間で武力を交えることはありませんでした。この後も永遠に戦争のない国であるために、私たちの役目は大きいのです。立正安国論の精神のままに進んで行けば、御本尊様の大きなご加護をいただき絶対的平和を築くことが出来ると固く信じることが日蓮大聖人様の弟子檀那の立ち位置でなければなりません。自他共に精進の時です。

 また、「六親不和」とは、親子の不仲、兄弟(姉妹)の不仲、夫婦の不仲のことです。これも過去世に仏法を破壊した罪であると仰せです。中学生の娘が父親を刺殺したり、反対に父親が幼い我が子の命を奪ったり、兄が妹を殺して死体をバラバラに悲惨な出来事が起こっても、「またか」という諦めの心になっていないでしょうか。 二〇〇六年の統計によれば、日本人の離婚率は二、三パーセントだそうです。多いと思うか少ないと思うかは個々の心ですが、仏様の眼からすれば、六親の不仲は「過去世の謗法が原因」なのです。

 ここで示される六親に限らず、人界の衆生の宿命のように思われている不仲の原因は、結局のことろ過去世の謗法罪にある、と仏様は教えて下さっております。であるならば、人界に生を受けた私たちは、過去世の謗法による罪障を消滅することにより平和で安穏な生活を営むことが叶う、というごく当たり前の結論に達します。

 日蓮大聖人の弟子檀那を自認するのであれば、親子や兄弟や夫婦の不仲を、「考え方の違い」とか、「性格の不一致」などといって、不仲を正当化してはなりません。そのように考えるのは諦(あきらめ)以外の何ものでもありません。現実から逃げているのです。そのような姿勢であっては過去世の謗法罪障消滅をすることは決して出来ません。戦争という国家間の争いも、六親不和という個々の争いも、全ては衆生一人ひとりの過去世の謗法罪に因っているのですから、日蓮大聖人様の、「罪障消滅の修行は南無妙法蓮華経と唱え、折伏をすればよい」と仰せに随って、素直に信心に励むことにより罪障消滅が叶い、争いのない平和な国土にすることが出来るのです。

 暑い日々ではありますが、折伏の二字を忘れることなく、平和な国土実現のために精進を重ねましょう。御健勝を祈ります。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺