日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年9月13・14日 御報恩御講拝読御書

御義口伝

御義口伝 (平成新編御書一七九四頁)
弘安元年一月一日 五七歳

御義口伝 (御書一七九四頁)

此人とは法華経の行者なり。法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり。道場とは十界の衆生の住処を云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり


 『御義口伝』は、『就註法華経口伝』といいます。日蓮大聖人様が法華経の大切なところを講述されたものを日興上人がお筆にされたものです。古来、本宗では『本因妙抄』や『百六箇抄』とともに、「相伝書」とされる重要な御書です。
「秘すべし秘すべし、唯授一人の相承なり」(一七九八頁)
とあることからも明らかなように、『御義口伝』の内容はただ唯授一人のお立場にある御法主上人のみが掌にされるものです。

 拝読の箇所は、法華経の普賢菩薩勧発品第二十八に説かれております、「此人不久。当詣道場」のところです。お経文は、
「此人不久。当詣道場。破諸魔衆。得阿耨多羅三藐三菩提。転法輪。撃法鼓。吹法螺。雨法雨。当坐天人大衆中。師子法座上(此の人は久しからずして、当に道場に詣して、諸の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を雨らすべし。当に天・人大衆の中の、師子の法座の上に坐すべし)」(新編法華経・六〇五頁)
となっております。【現代語訳】をしますと、「この人は、そう遠くない時に悟りの場に詣(いた)り、多くの魔に魅入られた人々の迷いを打ち破り、阿耨多羅三藐三菩提という仏の最も貴い悟りの智慧を得ることができる。そして、正しい教えの輪を回して、正しい教えの鼓を打ち鳴らし、正しい教えの法螺貝を吹き鳴らし、正しい教えの雨をふらすようになる。そのように人々のために法を弘めたならば、天上界や人界の人々が多く集まった中にあって、師子の座に座るであろう」となります。

 普賢品は法華経の最後にあたり、釈尊滅後の法華経流布について説かれており、対告衆は普賢菩薩です。普賢菩薩は文殊菩薩とともに迹化の菩薩で釈尊の脇士です。迹化の菩薩とは迹仏に教え導かれた菩薩をいいます。これに対し、上行菩薩を始めとする地涌の菩薩を本化の菩薩といいます。普賢菩薩の住処は東方です。

 経文の「普賢菩薩勧発品」の「勧発」について、妙楽大師は「法華文句記」で、「勧発とは法を恋うの辞なり」
と解釈しております。私たちの立場で考えると、「折伏(勧発)をすることは法を大切(恋う)に思いそのことを行動に表す言葉である」と読み替えることができるでしょう。


○娑婆即寂光

『最蓮房御返事』
「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光土の都たるべし。我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し、申す計り無し」(五八八頁)

『聖愚問答抄』
「仏の住処を常寂光と名づく」(三九四頁)
と教えて下さっております。

 常寂光土を略して寂光土。本仏が住される所のことですが、法華経では「娑婆即寂光」と説かれております。例えば朝夕読誦する寿量品の中に、「我常在此 娑婆世界 説法教化」とあります。これは仏様が、「私はいつも此の娑婆世界において 法を説いて人々を教え導いております」というものです。つまり、娑婆世界がそのまま仏様のお住まいである、ということが「娑婆即寂光」のことなのです。

『一生成仏抄』
「又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此くの如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり」(四十六頁)

『御義口伝』の御文は国土を表にし、仏と衆生は別々ではないことを示され、『一生成仏抄』は生命を表として、仏界(覚り)と九界(迷い)は一身の中にあることを教えて下さっております。


○総別

 「然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん」(『曽谷殿御返事』一〇三九頁)

 前述しましたように、「秘すべし秘すべし、唯授一人の相承なり」との御文は、唯授一人の血脈を御所持遊ばされる代々の御法主上人のみに御書の解釈の一切はある、というお言葉です。この一点が重要なのです。例えば、『御義口伝』の御文も『一生成仏抄』の御文も、「仏様と私たちは同じなんだ」と解釈することもできます。しかし、南無妙法蓮華経と唱えても、本門戒壇の大御本尊様を離れての成仏はあり得ないのと同じで、御文の上では仏様と凡夫の平等が説かれているように見えても、一歩深く入って拝すれば平等にして差別、差別にして平等の理が厳然と存するのです。このようなことを含め、御法主上人の御指南を拝して初めて御書の意を正しく理解することが出来るのです。創価学会の池田元総講頭は、「(御法主上人の御書講義は)ドイツ語を聞いているみたいで分からない」といっておりました。そのような者が大聖人様の御文を解釈すると創価学会のような信仰になるのです。繰り返します。御文を解釈し、教えて下さる方が大切なのである、ということです。

 日蓮正宗にあっては、大聖人様より唯授一人の血脈をお受けになった日興上人以来代々の御法主上人がおわします。法統連綿とした正しい御書の解釈をして下さり、間違いなく大聖人様のお心に繋がる信仰です。ですから安心して励むことが出来るのです。

 良い季節を迎えます。自らのため、周りの人たちのためにさらに精進を重ね、大きな功徳を受けてまいりましょう。

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