日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年8月1日 永代経

太田入道殿御返事

『病』に負けないために『病』の起こりを知ろう

太田入道殿御返事 (平成新編日蓮大聖人御書九一一頁)
建治元年一一月三日 五四歳

太田入道殿御返事 (御書九一一頁)

病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む」云云。大涅槃経に「世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず、二には五逆罪、三には一闡提。是くの如き三病は世の中の極重なり」云云。又云はく「今世に悪業成就し、乃至必ず地獄なるべし。乃至三宝を供養するが故に、地獄に堕せずして現世に報を受く。所謂頭と目と背との痛」等云云。止観に云はく「若し重罪有って乃至人中に軽く償ふと。此は是業が謝(しら)せんと欲する故に病むなり」と


【通解】

天台大師の説かれた摩訶止観には、病気の原因に六通りあることを示されています。
一には、身体を構成している地・水・火・風の四大の調和が崩れたためである。
二には、暴飲暴食をしたためである。
三には、禅定が法によっていないためである。
四には、悪鬼による。
五には、魔の仕業による。
六には、過去世の行いによる。
また。大般涅槃経には、世の中に治しがたい病の者が三種類いる、と説かれています。その三種類の者とは、
一には、大乗経(法華経)を誹謗する者。
二には、五逆罪(ごぎゃくざい)を犯した者。
三には、正法を絶対に信じない者。
そして、この三種類の者は世の中で最も重い病の者である、と説かれている。また、現世において悪業を重ねると来世には無間地獄に生まれる。ただし、仏・法・僧の三宝を供養すれば来世に地獄に堕ちることはないが現世にその報いを受けることになる。その報いとは、頭と目と背の痛みである、と。このような経文にから、摩訶止観では、もし重い罪業があり、来世において地獄の苦しみをうけるような場合でも、今生において正法を信ずれば、この世において軽く受け償うことが出来る、とある。これは、前世での罪業を教えるために病気になるのであると解釈されている。

一、四大不順。これに対応すためには、医者や薬の力も有効である。但し、依正不二の原理からいえば、究極の治癒は、一念三千の御本尊様に祈る意外にないことはいうまでもない。日蓮大聖人様は、『日女御前御返事』(一三八八頁)で次のように仰せになっている。

○四大(しだい)@地大・A水大・B火大・C風大のこと。四大種ともいう。身体を構成している四種類の元となる物。倶舍論等では@地大は堅く物を支える働きがあるとされる。A水大は水分を含み物を集める働きがあるとされる。B火大は熱をもち物を熟成させる働きがあるとされる。C風大は動き物を成長させる働きがあるとされる。また大方円覚修多羅了義経では@地大を骨・爪・歯・筋など。A水大を血液を含む体液。B火大を身体の体温(ミトコンドリアという細胞が熱を作る、といわれていることからすれば、火大はミトコンドリア、といえるかもしれない)。C風大を呼吸にあてはめている。

元来、仏教は正報である人身と、依報である自然界が不二であると説く。「依正不二」の教えは、自然と私たち衆生との調和ある生活でもある。太陽がのぼれば活動を開始し、日が沈めば活動は終わらせる。夏は夏、冬は冬の食べ物を。人類の祖先が営んでいたような生活をするならば、四大不順は起こらないであろう。摩訶止観では病の原因として六種を挙げるが、その最初に四大不順をおき、最後に業を配しているのは病の原因として軽いものから順番に重くなっている意味があると考えられる。天台大師の暮らしていた時代には、電気もなく、灯りといえばせいぜいローソクであった。夜更かしなどほとんどの人には無関係のことであろう。食物も地産地消どころか、「今そこにある物」しかないのであるから、環境との調和、という点では「依正不二」であったといえる。したがってこのような社会では四大不順は加齢現象によるものであり、それは自然の成り行きなのである。そこで、一番最初においたものと考えられる。しかし、現在社会にあっては、自然と調和した生活など不可能であり、その結果、加齢による四大不順ではないものがほとんどになっている。
 
妙楽云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云。又云はく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。伝教大師云はく「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」文。此の故に末曽有の大曼荼羅とは名付け奉るなり
と。

これは、天台大師・妙楽大師・伝教大師の言葉を引用され、日蓮大聖人様が末法において始めて書き顕された御本尊様についての御教示である。

つまり、森羅万象を含む一切を南無妙法蓮華経の御本尊様として建立された御本尊様に向い、手を合わせ唱題をすることにより、我が身も御本尊様の不思議の仏力・法力を受けることが叶うのである。

科学が発達する以前の人たちの生活に戻ることは不可能と考えるが、依正不二の原理からいえば、森羅万象を含む一切の実相として示された御本尊様に向い唱題を重ねることにより、正報である私たち衆生も、依報である環境もよりよい方向に導かれるものと確信する。ただし、観念のみであってはならない。実践が伴って始めて日蓮大聖人様の御加護があることを忘れてはならない。

二の飲食節せざる故、は暴飲暴食をしなければよいわけですが、わかっていてもやめられないのが凡夫です。また、餓鬼界の情念があれば、貪る心に支配されていますので自己管理だけでは解決できない問題だと思います。簡単に考えると怖いことになります。喫煙などもここにあてはまるのではないでしょうか。

三、坐禅調はざる故とは、天台大師は坐禅といいますが、末法の今日は御本尊様に端座合掌して唱題をすることにあてはまります。これは皆さまには全く問題のないことです。

四、鬼便りを得るは悪鬼より教えられる、と捉えることが大切です。

五、魔の所為も魔がでたことは信心が向上する過程である、と捉えます。

この二つは現世での行いに対する結果であると考えます。ですから、次の六に比べると、同じ病であっても軽いものだといえます。

六、業の起こるが故、と最も重い病として現れるものは過去世の業因によるのであるとされます。ただし、大聖人様は
止観に云はく「若し重罪有って乃至人中に軽く償ふと。此は是業が謝(しら)せんと欲する故に病むなり」
と誠に有り難いお言葉を示してくださり私たちを励ましてくださっております。あなたは過去世に謗法がありました。本来であれば無間地獄の中にあって限りない苦しみを受けなくてはならないところですが、今正しい御本尊様に向かって手を合わせ、周囲の人たちのことを思って折伏の修行に励んでいますので、より強盛に修行に励み罪障を消滅することが出来るように病として現れているのです、と業自体が善知識となって私たちに教えているのです。ですから、病気だからといってガッカリすることはありません。ガッカリしなくてはならないのは病気だからといって折伏をしない自身の心に対してです。

ちなみに、交通事故や玄関で転んで骨折した、等の怪我はどのように捉えたらよいのでしょうか。病気ではありませんから、ここにはあてはまらないように思うかもしれませんが、やはり、関係があります。なぜなら、「怪我」は本来の漢字の意味は「自分を責める」ということです。怪我をしたあとで思うことは、「あんなことをしなければ良かった」ということではありませんか。ですから、過去の業因でもあり、現世での謗法でもあり、勤行をさぼった結果でもあり、不摂生な生活の影響もあります。ですから、病気ではなく怪我で良かった、とはいえませんね。

「諸法実相」とは、私たちの目に見えることも見えないこともすべてを含む、物事の真実の姿のこと。日蓮大聖人様の仏法では、森羅万象を含む一切が、実相である妙法蓮華経そのものであり、森羅万象を含む一切の真実の姿は南無妙法蓮華経である、とされる。

妙楽云はく、「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」
は、妙楽大師が法華経方便品第二の「諸法実相」の文を解釈したもので、真実の姿(実相)は現実の姿に現れる(諸法)ものである。また、諸法には十の側面から見えるもの(十如)が具わっている。さらに諸法の十如は十界のそれぞれの上に顕われ、それは国土にあって実在するものである。

又云はく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」
これは、天台大師の説かれたもので、方便品の「諸法実相」の「実相」は本有の妙法蓮華経である、ということ。本有は、もともと有る、ということで、本来の存在を意味する。それが妙法蓮華経である、と天台はおしえている。つまり、妙法蓮華経は宇宙一切の体である、根本である、ということ。したがって南無妙法蓮華経と御本尊に祈ることにより、社会全体を(環境を含め)正しいものにすることが叶うのである。

伝教大師云はく、「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」
は伝教大師の説かれたもの。日蓮大聖人様はこの伝教の言葉を引用して、日蓮大聖人様が御建立される御本尊様は「人法一箇の御本尊」であることを御教示下さる。
一念三千は南無妙法蓮華経のことであり、自受用身は久遠元初の自受用身。自受用身は自ら思うままに受け持つ身の意。つまり、久遠元初に何らの作為もなく実在された仏をいう。他受用身に対する語。他受用身は衆生の願いによって出現する仏。出尊形の仏とは尊形を出でたる仏、つまり、三十二相八十種好の仏のように色相荘厳したものではなく、父母の身から生まれた人身の仏様のこと。

○五逆罪(ごぎゃくざい)とは、仏法で説く五種類の最も重い罪のこと。犯した罪が原因となって無間地獄の苦しみをうける。小乗経で説かれる五逆罪は、@父を殺す。A母を殺す。B阿羅漢(あらかん)を殺す。C仏身に傷を付け血を出す。D和合僧を破る。
大乗教で説かれる五逆罪。@寺院を破壊し経文を焼き三宝を奪う。またそれらの行為を人に行なわせ、その行為を見て喜ぶ。A声聞・縁覚および大乗の法をそしる。B僧侶が仏道修行をするのを妨害し、またそれを殺す。C小乗経の五逆罪の一つでも犯す。D因果の法を信ぜず常に十種の悪業を行いまた人にも教える。

 本抄は、建治元年(一二七五)十一月三日、身延においてお認めにならられたものです。大聖人様は五十四歳でした。別名を『転重軽受事(てんじゅうきょうじゅのこと)』ともいい、御真蹟の断片六紙が現在まで伝えられています。

 御書を与えられた人のことを、「対告衆(たいごうしゅう)」といいますが、当抄の対告衆は太田乗明です。

 大田乗明が身に「悪瘡」ができ悩んでいることを日蓮大聖人様にご報告申し上げたところ、病を克服するための信心の姿勢を御指南下さる重要な御返事です。

 太田乘明は、またの名を、太田金吾・太田左衛門尉ともいい、正式には、太田五郎左衛門尉乗明といいます。下総国葛飾郡八幡荘中山(現在の千葉県市川市)に住んでいました。鎌倉幕府の問注所の役人であったといわれております。富木常忍や曾谷教信らと共に古くからの信徒であり、千葉方面の広布の中心的な役割を担っていた方です。夫婦揃って大聖人様の信仰を強盛にされておりました。なお、後年の弘安元年四月二十三日の御書である「『太田左衛門尉御返事』(一二二一頁)には、「五十七歳の厄」とあり、弘安元年が五十七歳であったことが知れます。このことから、大聖人様と大田乗明は同い年であったことがわかります。したがってこの御書を頂いたとき、乘明は五十四歳でした。


日蓮大聖人様は、信心により病を治すことが叶う、と『可延定業御書』で仰せです。さらに、医者にかかることも大切である、と御指南です。

可延定業御書 (御書七六〇頁)

「されば日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生ける犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし」


【現代語訳】

日蓮が母のことをお題目を唱えて祈ったところ、病気が良くなるばかりか四年の間寿命を延ばすことが叶いました。今、貴女は女性として末法に生を受け身に病を得ています。貴女は法華経の正しさを証明する使命があるですから、試みに法華経の信心を立て、強盛に修行に励んでご覧なさい。必ず良い結果が出ます。しかもその上、名医がいます。中務左衛門尉(四条金吾)がその人です。この人は法華経の行者ですから安心してお任せしなさい。命は私たちにとって第一の宝物です。一日でも命を延ばすことが出来るならば、千万両の宝を得ることよりも価値のあることです。法華経がすべての経文の中で最も勝れているのは、仏の命が三世常住であることを説いているからです。世界第一の地位にある太子であっても、短命であれば草よりも軽いものになります。太陽のように光り輝く智者であっても、若くして亡くなったならば生きている犬にも劣る者です。四条金吾に誠意を尽くし、急いで病の治療を願うがよいでしょう。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺