日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成20年11月1日 永代経

日蓮大聖人様が釈尊より尊い仏様であることを示された寿量品の文
私たちが朝夕読誦する法華経寿量品第十六に次のように説かれております。

@本因妙

【経文】
「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」


【書き下し】
「我(われ)本(もと)菩薩の道(どう)を行(ぎょう)じて、成(じょう)ぜし所の寿命、今猶(なお)未だ尽きず。復(また)上(かみ)の数(すう)に倍せり」(開結四三三)


【解説】

この寿量品の経文を依文(えもん)とし、釈尊が久遠の昔において菩薩道を修行したことを明かしています。依文とはより所となる経文、ということです。このお経文によって、釈尊が過去世において菩薩の修行をしたことと、その功徳として寿命を得たことを教えて下さっております。これを本因妙(ほんにんみょう)といいます。

本因妙とは、仏様が仏様になるための根本の修行のことです。因は修行をさします。私たち凡夫は仏道修行といいますが、仏様の修行は因行(いんぎょう)といいます。因行も修行もどちらも成仏のための修行ですが、あえて使い分けるところに深い意味があるように思います。憶えておけば便利です。仏法の言葉は漢語をそのまま使っておりますので現在の私たちにすれば難解難解ですね。ですが、一つ一つ見てゆけば英語や仏蘭西語とは違いますので理解することができます。励みましょう。



A本果妙

【経文】
「然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他劫」


【書き下し】
「我(われ)実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫(ひゃくせんまんのくなゆたこう)なり」(開結四二九)


【解説】

この経文を依文(えもん)とし、釈尊が久遠五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)において仏果(ぶっか)を成就したことを明かしています。五百塵点劫は別の言葉では久遠といいます。
そのことを本果妙といいます。本因の修行によって悟りを成就し、仏身(ぶっしん)を得たことです。仏身とは仏の身ですから別の言い方をすれば「成仏」となります。ですから仏様も因行を積んで仏果を得る、つまり修行をして成仏ができたのです。私たちがお題目を唱へ折伏に励むのは私たちの修行です。その先に仏に成る、つまり成仏の功徳を受けることになりますから仏様と我々も違いのないことになります。修行と結果に焦点を当てて考えれば仏様も私たちも同じである、ということです。ただし、だからといって「日蓮大聖人様と私たちは同じである。仏法は平等です」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これは池田大作流の短絡的な間違った考えです。あくまでも、根本の仏様と私たちには違いがある、と謙虚な心を忘れてはなりません。「平等」を振りかざすと慢心・増上慢・偏執の心になります。そしてそのような者は、やがて我が身ばかりが周囲に悪影響を及ぼし共に悪道に堕ちてしまうのです。もし貴方の周辺に「平等」を強調するような方がいたならば、注意が必要です。創価学会のようにならないためにも互いに誡めたいものです。

反対に仏様は特別なお方である、という気持ちが強くなると「差別」の心に支配されます。それは卑屈、諦めの心ですから成仏に遠くなります。仏法では平等即差別、差別即平等を教えてくれます。一切衆生が仏に成ることができる、という面は平等です。日蓮大聖人様に成仏の道を開いていただいた、だから日蓮大聖人様に感謝の心で過ごすのだ、という思いで御報恩御講を奉修するのは差別の面です。先生と生徒の関係で考えると、先生から教えられたことを理解すれば先生と同じになれます。それが平等です。でも、教えてもらった、という恩は消えません。ですからいつまでも先生は先生なのです。生徒は生徒なのです。それを勘違いすれば先生を敬う心を失い、かえって学ぶものをなくする不幸になります。そのように考えると、平等と差別の両方から物事を見たり考えたりすることができるようになれば仏様のお心に少しは近づいたかな、と思えるようになります。



B本国土妙

【経文】
「我常在此。娑婆世界。説法教化」


【書き下し】
「我(われ)常に此の娑婆世界に在って、説法教化(きょうけ)す」(開結四三一)


この経文を依文(えもん)とし、娑婆世界が釈尊の常住する国土であることを明かしている。


【解説】
この経文を衣文として本国土妙を明かされています。本国土妙とは、本仏(ほんぶつ)が住する真実の国土を明かすことです。阿弥陀経では、阿弥陀仏の国土は西方極楽浄土です。薬師如来は東方浄瑠璃世界です。つまり、娑婆世界の外に国土がありそこに住する仏様である、ということです。ですから、阿弥陀仏や薬師如来をいくら頼みとしても御利益を戴くことができないのです。しかし、法華経の仏様はこの経文に明らかなように、娑婆世界に常におわしましてお説法をされ私たちを導いて下さっている、と明言されております。ですから、法華経の仏様を私たちは頼みとして信心をするのです。言い換えれば、極楽浄土の仏様や東方浄瑠璃世界の仏様にいくら助けて下さい、と願っても聞き届けてはくれない、ということです。隣のお父さんやお母さんに助けて下さい、といっても、貴方のお父さんやお母さんにいいなさい、といわれるのと同じです。



○御本仏

ここで説かれる法華経の仏様が釈尊です。その釈尊が実は久遠の昔に修行した法が妙法蓮華経である、と教えて下さるのが日蓮大聖人様です。ですから、日蓮大聖人様が根本の仏様であるというのが日蓮正宗の教えなのです。

来月はお正月ですからこの続きはに二月の御経日に学びます。寒い中の御参詣になりますが、お励み下さい。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺