日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年2月7・8日 御報恩御講拝読御書

妙法比丘尼御返事

妙法比丘尼御返事 (平成新編御書一二六四頁)
弘安元年九月六日 五七歳

妙法比丘尼御返事 (御書一二六四頁)

今又此の山に五箇年あり。北は身延山と申して天にはしだて、南はたかとりと申して鶏足山の如し。西はなゝいたがれと申して鉄門に似たり。東は天子がたけと申して富士の御山にたいしたり、四つの山は屏風の如し。北に大河あり、早河と名づく、早き事箭をいるが如し。南に河あり、波木井河と名づく、大石を木の葉の如く流す。東には富士河、北より南へ流れたり、せんのほこをつくが如し。内に滝あり、身延の滝と申す、白布を天より引くが如し。

此の内に狭小の地あり、日蓮が庵室なり。深山なれば昼も日を見奉らず、夜も月を詠むる事なし。峰にははかうの猿かまびすしく、谷には波の下る音鼓を打つがごとし。地にはしかざれども大石多く、山には瓦礫より外には物なし。

国主はにくみ給ふ。万民はとぶらはず。冬は雪道を塞ぎ、夏は草をひしげり、鹿の遠音うらめしく、蝉の鳴く声かまびすし。訪ふ人なければ命もつぎがたし。はだへをかくす衣も候はざりつるに、かゝる衣ををくらせ給へるこそいかにとも申すばかりなく候へ。

見し人聞きし人だにもあはれとも申さず。年比なれし弟子、つかへし下人だにも皆にげ失せとぶらはざるに、聞きもせず見もせぬ人の御志哀れなり。偏に是別れし我が父母の生まれかはらせ給ひけるか、十羅刹の人の身に入りかはりて思ひよらせ給ふか。


【通解】

 今またこの身延の山中に入って五年になります。北は身延山という山が、大空に橋を立てかけたように高く聳えています。南には鷹取山という山があります、この山はインドの王舍城にある鶏足山のように高く険しい山です。西には七面山があります。これは人の行く手を阻む羯霜那国(きょうそうなこく)にあった鉄門のようです。東には天子ヶ岳があります。この山は例えば富士山を王とするならば太子といってもよいほどの高い山です。これらの山々に取り囲まれる様は、まるで四方に屏風が立っているようです。また北側には早河という大きな川があります。射た矢と同じぐらいの急流です。南側には波木井川があります。大きな重い石を、木の葉のように軽々と流すほどの川です。東側には富士川があります。この川は北より南へ流れており、千本の鉾を一気に突き出すような勢いで流れております。近くに身延の滝と名付けられた滝があります。この滝は白布を大空から垂らしたようです。

 このように、高い山と川に囲まれた狭い所に日蓮の庵室があります。深い山の中ですから昼間でも太陽を見ることがありません。また夜も月を眺めることはありません。

 峰では山猿の鳴く声が騒がしく、谷には流れる水音が鼓の音のように響き渡っております。狭い土地には大きな石がゴロゴロとしており、山は瓦礫ばかりです。

 国主に憎まれている日蓮です。ですからこのようなところに住んでおります。そのために多くの人は訪れることはありません。冬になれば雪が道を塞ぎ、夏は草がおおい茂って人の通行を妨げております。遠くで鳴く鹿の声は侘びしく、反対に蝉の声は騒がしく聞こえます。このような所ですから、訪ねる人がないので命もつぎがたく、肌を隠す衣もないところに、このような衣を送ってくださったことは、なんともいいようのないありがたさを覚えます。

 近くで見たり聞いたりしている人であっても、このような日蓮を哀れであるとは思わず、古くから慣れ親しんだ弟子も、仕えていた下人も逃げてしまい、訪ねてくることもありません。そのような中にあって、これまで、お名前を聞いたこともなく、ましてお会いしたこともない方が、衣を御供養して下さるお志に日蓮は強く心を動かされます。これは、ひとえに亡き父や母が生まれ変わって日蓮を守るために表れたのでありましょうか。それとも、法華経の行者を守護することを誓った十羅刹が貴女の御身に入り代わって日蓮のことを心配し、思いを寄せられたものでありましょうか。


【解説】

 当抄は弘安元年九月六日に身延から「妙法比丘尼」という方に与えられた御書です。大聖人様はこの時五十七歳であられました。御文にもあったように身延に入られて五年目です。当抄の冒頭に
「御文に云はく、たふかたびら一つ、あによめにて候女房のつたうと云云。又おはりの次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給ふと云云」
とありますことから、妙法比丘尼の兄嫁が「たふかたびら」を一枚御供養したこと、さらに、尾張の次郎兵衛殿が六月二十二日に亡くなったこと、がわかります。そのことに対する御返事です。

 この妙法比丘尼につきましては、詳しいことは伝えられておりません。ただ、日蓮大聖人様の仰せを正直な心で信じ、素直な信仰に励まれていた女性の御信徒であった、ということは間違いありません。

 思いますに、当抄にある衣の御供養が、尾張次郎兵衛殿の百箇日追善供養にあたっての御供養だとすれば、兄嫁は尾張次郎兵衛殿の女房ということになります。そして、弘安三年十月二十一日の『刑部左衛門尉女房御返事』(一五〇三頁)の宛名書きである、「尾張刑部左衛門尉殿女房御返事」(一五〇六頁)とあるところとをあわせて拝すると、尾張刑部左衛門尉の女房と妙法比丘尼とが同じ方である可能性もあります。そういたしますと、尾張次郎兵衛殿と尾張刑部左衛門尉殿が兄弟であったと考えることができます。ことに、『刑部左衛門尉女房御返事』を拝すれば、刑部左衛門尉の女房は、自らの亡き母親の十三回忌を大聖人様に願い出るほどの強信者でした。両方の御文に共通する、「尾張」という言葉から推測して、『刑部左衛門尉女房御返事』が十三回忌の追善供養を願い出たときの御書であることを考えれば、当抄も尾張次郎兵衛殿の百箇日忌の追善供養を願い出た御返事であると考えることができます。ちなみに、六月二十二日に亡くなった方の百箇日は、今年の暦によれば九月二十九日になります。したがいまして、その前に追善供養の御供養が大聖人様のもとに届けられた、ということではないかと思います。

 さて、拝読の箇所では、身延におわします大聖人様のもとには通う人も少ない、むしろ弟子もお手伝いの人もいなくなってしまった、と述べておられます。当時は、竜の口法難や佐渡御流罪などで日蓮大聖人様を疑い、信心を退転した人たちが少なくありませんでした。さらに、身延へのご隠棲となったわけですからなおさらです。ですからここでのお言葉は、退転した者たちのことを指していると拝することができます。

 当時の大聖人様のお膝元には、日興上人をはじめとして多くのお弟子が修行に励んでおられました。当抄の二年前の建治二年三月の『忘持経事』には
 「法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ」(新編御書・九五七頁)
と仰せです。

 法華経を読誦する声が、青く澄みきった大空に響き渡り、御説法の声は山中に満ち満ちて、末法万年の人々の幸福のために、大聖人様が陣頭に立って、闘いの指揮をおとり下さっているお姿が彷彿とする有り難い御書であると拝します。

 さらに、当抄の翌年の八月に認められた『曽谷殿御返事』には、
 「今年一百余人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ」(新編御書・一三八六頁)
とあります。百名を超えるお弟子が山中で修行をしていることと、一日中法華経を学び、日蓮大聖人様が御説法をされていることが示されております。このような御書から、狭い山中にあられても、私たち末代の弟子檀那のことをお考え下さっていたことに胸が熱くなります。そのお陰で今日、南無妙法蓮華経とお題目を唱へ、日々を送ることができているのです。

 また、「はだへをかくす衣も候はざりつるに」との仰せを拝して、当時の信徒が怠慢であった、と取ってはなりません。南条時光殿は毎月のように大聖人様のもとに足を運ばれ御供養の修行に励んでおり、四條金吾殿や富木常忍殿や佐渡の阿仏房夫妻も再三御登山をされ大聖人様への御供養の修行を怠りなく努められておりました。にも拘わらず、なおこのような状況であったのは、百人を超える方々が修行をするのですから、一つのものを二人三人で分け、互いに協力しながら修行に励んでいた様子がこのようなお言葉であると拝さなくてはなりません。物が溢れる今日の状況では想像ができないことです。誤解のないように繰り返します。御不自由をされていたことは間違いがありませんが、ただし、当時の御信徒が御供養の精神を忘れていたのでは決してありません。むしろ、南条時光殿などは「自ら乗る馬がない、子供たちは着る着物がない」という中でも、大聖人様のことを気遣われて御供養をされておることが次の御書で明らかです。

「わづかの小郷にをほくの公事せめにあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかゝるべき衣なし。かゝる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともしかるらんとおもひやらせ給ひて、ぜに一貫をくらせ給へるは」(上野殿御返事・一五二九頁)
でありますから、むしろこの御文から、大聖人様の膝下にあって未来広布に向かって多くのお弟子が精進されていたことを拝することが大切ではないかと思います。もとより、大聖人様は質素な御生活でした。また日興上人をはじめお弟子たちも質素であったことは当然です。

 因みに、御書に見られる御供養の品々には、米・麦・粟・芋・大根・ごぼう・豆・こんにゃく・筍・はじかみ・昆布・若布・ミカン。さらに、お酒、油・塩・みそなどあらゆるものがあります。干したタコもわざわざ佐渡の島からお届けした御信徒もおりました。


【最後に】

 当抄で私たちは、御供養をすることのできる人は素晴らしい立場に昇ることが叶う、ということを学ぶことができます。つまり、「我が父母の生まれかはらせ給ひけるか、十羅刹の人の身に入りかはりて思ひよらせ給ふか」
とのお言葉がそれです。換言すれば、これは本日御参詣の皆さまが受けることのできる功徳を教えて下さっている御文なのです。つまり、御報恩御講に御参詣され、日蓮大聖人様に感謝の心で修行に励み、さらにその上、日頃丹精された浄財を御供養として御本尊様にお供えされます。そのことにより、皆様方は、「日蓮大聖人様のお父さんお母さん」ということになります。御本尊様の中に御認め下さっている、法華経の行者をお守りする「十羅刹女」という実に有り難い立場にある、とまで仰せ下さるのです。

 御参詣の皆さまには、当抄で大聖人様が教えて下さるご自身の貴いお立場を心に留め、それぞれの場面場面で大聖人様の正義を顕揚する修行に励まれますようお祈り申し上げます。

 寒い日がまだまだ続きますが、ご信心第一に乗り切ってまいりましょう。「冬は必ず春となる」とのお言葉を実感することのできる素晴らしい季節でもあります。ご精進、ご精進。

以 上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺