日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年4月11・12日 御報恩御講拝読御書

千日尼御返事

千日尼御前御返事 (平成新編御書一二五三頁)
弘安元年七月二八日 五七歳

千日尼御前御返事 (御書一二五三頁)

 漢土に沛公と申せし人、王の相ありとて秦の始皇の勅宣を下して云はく、沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行なふべし。沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日・二七日なんど有りしなり。其の時命すでにをわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時々命をたすけしか。彼は妻なればなさけすてがたし。此は後世ををぼせずば、なにしにかかくはをはすべき。又其の故に或は所ををい、或はくわれうをひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ひぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ。されば十万億供養の女人なり。其の上、人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は、我が薩た(サッタ。「た」は土偏に垂)王子たりし時、うへたる虎に身をかいし功徳、尸毘王とありし時、鳩のために身をかへし功徳をば、我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給ひしか。

 其の上御消息に云はく、尼が父の十三年は来たる八月十一日。又云はく、ぜに一貫もん等云云。あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随ひて法華経十巻をくりまいらせ候。日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちゃうもんあるべし。此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。


【現代語訳】

 中国の沛公の人相が、将来国王となる人相であることを恐れた秦の始皇帝は、「沛公を討ち取った者にはどのような望みでも叶える」と勅宣を下しました。この勅宣により沛公は隠れる所がなくなり、人里離れた山の中に入りました。そのようにして山中で一週間、二週間と日が経過し、ついに食料が尽き飢えて死を待つばかりになったとき、沛公の妻である呂公が、食物を持って山中の沛公の元を訪れ、命を助けたといわれております。これは、呂公が沛公の妻であり情の上から黙って見ていることができなかったからでしょう。

 しかし今、貴女が日蓮に対してされることは、自身の来世を思ってのことでなければ出来ないことです。来世を信じ、来世のことを思うゆえに、あるときには住む所を追われ、またあるときには過料に処せられ、さらにあるときには家を取り上げられる、という様々な迫害を受けながらも、退転することなく日蓮の信仰を貫き通しています。

 法華経の法師品には次のように説かれております。「過去世において十万億の仏を供養した人だけが、今生では退転せずに仏に成ることが叶う」と。経文に照らし合わせるならば、貴女は過去世において十万億の仏を供養した女性であることは間違いのないところです。

 その上私たち凡夫は、目の届く限りでは心を尽くすこともありますが、いったん離ればなれになると、気にはかけていても、つい疎遠になるものです。そのような凡夫の心が支配する中で、日蓮が佐渡の島から離れ、身延山に入った文永十一年(一二七四年)から今年、弘安元年(一二七八年)までの五箇年の間に、三度も佐渡の国より夫の阿仏房を代表として、登山をされております。このような修行は、どのような御心ざしによるものでしょうか。その御心ざしは大地よりも厚く大海よりも深いものです。

 釈迦如来が過去世において、薩た(サッタ)王子として修行に励んでいたとき、飢えた虎に我が身を与えることによって受けた功徳、また、尸毘王として修行に励んでいたときに、鳩の身代わりとなって鷹に我が身を与えることによって受けた功徳を、末法に法華経を信じる人に譲り与えましょう、と多宝仏・十方の仏の御前でおっしゃったのでありましょうか。

【絶対に退転をしない功徳。法華経の信仰を貫く功徳】千日尼が大聖人様の信仰を貫き、成仏することが叶うのは、過去世において十万億の仏に供養した功徳である、また、五年の間に三回も登山参詣をする御心ざし、大地よりも厚く大海よりも深い御心ざしを表すことができるのは、釈尊が過去世に修行をした時の功徳を譲られたからであろうか、という意。この登山の修行を、自我偈の、「一心欲見仏・不自惜身命」にあてると、この場合、仏とは日蓮大聖人、命を惜しまない修行者は阿仏房となる)

 その上、お手紙には、「父の十三回忌が来たる八月十一日であり、その追善供養のために、一貫文を御供養いたします」とありました。あまりにも、亡き父上の来世を思われる御心ざしが尊く、真心が込められておりますので、日蓮が書写して手元に置いていた法華経十巻を差しあげます。日蓮を恋しく思うときには、学乗房にこの経文を読んでいただきお聴き下さい。また、後生にはこの法華経が日蓮のもとに至る案内の書となります。

以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺