日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年4月1日 永代経

唱題行
 総本山六十八世日如上人の御指南のもと、四月一日から百日間唱題行を奉修いたします。唱題を重ね、七月の七五〇〇〇名大結集を成功に導こうではありませんか。

 唱題をする意義を日蓮大聖人様は、『諸法実相抄』で、
一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて、あひかまへて、信心つよく候ふて三仏の守護をかうむらせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし (御書六六八頁)
と仰せです。

 本宗ではこの御文を古来より特別に行学二道の御聖訓、と申し、常に心に染めて拝読をしてまいりました。この御文で日蓮大聖人様は、日蓮正宗富士大石寺の信仰は、第一に信ずること、第二に修行に励むこと、第三に教えを学ぶことである、と明確に示されます。全ては総本山大石寺に御安置申し上げる、一閻浮提第一の大御本尊様を疑いなく信じることから始まる、というものです。

 ではその信とはどのようなことをいうのでしょうか。総本山二十六世日寛上人の御指南を拝しますと、
「信とは何の義ぞ。謂く、信順の義なり」
と仰せです。さらに、信順については
「如来の金言に随順す、これを信順の義と名づくるなり」
と仰せです。如来とは末法の御本仏日蓮大聖人様のことですから、日蓮大聖人様の御教えに素直な心で随うことが「信」であることが明らかです。

 また、『撰時抄愚記』(日寛上人が撰時抄をご講義されたもの)では、
行者当に知るべし、信心ありと雖も、唱題の行なくんば、譬えば盲(め)しいずして跛(あしなえ)たるが如し。唱題ありと雖も、若し信心なくんば、譬えば跛(あしなえ)たらずして盲(め)しいたるが如し。若し信行具足するは猶二つながら全きが如し。百論の「盲破の譬」これを思い見るべし。故に能く信心の目を開き、唱題修行の足を運ぶべし。若し爾らば能く通じて寂光清涼地に到らんこと、何ぞこれを疑うべけんや。
と仰せになっております。

 御指南の意を【通解】いたしますと、
信仰者は次のことを心得るべきである。譬え信ずる心があっても、唱題をしなければ、目が不自由でもないのに、歩くことが出来ないようなものである。また、信ずることのできない者は、譬えて言えば、足は悪くないが、物が見えず歩くことが出来ないようなものである。また、御本尊を信じて唱題をするならば、目も足も両方が完全な働きをするようなものである。百論の「目の不自由な人と、足の不自由な人の譬え」を思うべきである。ゆえに、よく信心の目を開き、唱題修行の場に足を運ぶべきである。もしそうであるならば、仏の智恵に照らされた清浄で涼やかな池に到達することが出来る。このことを疑ってはならない。
となります。語句の意味は次ぎに挙げておきます。

【盲破の譬】 智恵のない師を盲にたとえ、実践のない弟子を跛にたとえている。
【清涼池】 法華玄義等に説かれる、智目行足・到清涼地の文。「ちもくぎょうそく・とうしょうりょうち」と読む。智慧を目に譬え、修行を足に譬える。この両方を兼備することにより、清涼池に到達するという意。清涼の地とは成仏の境地のこと。

 この智目行足について玄義巻二上には、「智は行の本たり、智目に因って行足を起す。目足及び境の三法を乗と為し、是の乗に乗じて清涼池に入る」とある。

 意味は、信仰の対象である境(御本尊)と、衆生の智慧(智)と、その智慧によって起こす修行(行)の三法が具足して成仏の境地(位)に到達すると言うこと。

 「智は行の本」とあるが、日寛上人は文底秘沈抄で、
「『智目行足をもって清涼池に到る』云々。宗祖の云わく『信を以て慧に代う』」
と四信五品抄を引かれて御指南されている。

 日寛上人の御意は、我等富士大石寺の教えは、信をもって智慧に代える(以信代慧)教えである。したがって、本門戒壇の大御本尊様に的を定め、信行具足の唱題に励むことが成仏の道である、ということです。

 日如上人が七百五十億遍のお題目を唱えて『立正安国論』正義顕揚七百五十年をお祝い申し上げようと御指南下さるのは、大聖人様、日寛上人の仰せを素直に信じ、唱題を重ねることにより一人残らず成仏の功徳を受けきっていこうではないか、との御意であると拝するものです。

 また、十五万名が心を一つに合わせて唱題をする意義は、功徳を受けるためには「異体同心」の修行が肝心である、との御指南です。『生死一大事血脈抄』で日蓮大聖人様が、
総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し(御書・五一四頁)
と仰せです。水と魚のように互いに心を一つにして「南無妙法蓮華経」と唱えることにより広宣流布も達成することができる、と異体同心した唱題の功徳を教えて下さっております。反対に、心を一つにして唱題のできない者は「城者破城」であるとの厳い戒めを忘れてはなりません。

 佛乗寺の檀信徒の皆さま、末法の御本仏日蓮大聖人様のお言葉を信じて、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱へ、自らの幸福と周りの方々の幸福を祈りましょう。祈って折伏の行動を起こしましょう。地球全体が、飢饉や災害や戦争のない平和な国土とるように一人ひとりが一歩を踏み出しましょう。さらなるご精進を。


以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺