日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年5月3日 広布唱題会

妙法尼御前御返事

〜 臨終正念 〜

妙法尼御前御返事(御書一四八三頁)
弘安三年七月一四日  五九歳

妙法尼御前御返事 (新編御書一四八三頁)

故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏と申す法門なり。かゝる人の縁の夫妻にならせ給へば、又女人成仏も疑ひなかるべし


【通解】

亡くなられた方は今生の最後に南無妙法蓮華経と唱えられたということからして、一生の間、ないし無限の過去からの長い長い間に重ねた悪業も、皆変じて仏の種となります。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏という法門はこのことです。このような人と夫婦としての縁を結ばれたのですからまた女人成仏も疑いのないものです。

『生死一大事血脈抄』
所詮臨終只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候。悦ばしいかな一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し。(五一三頁)
相構へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ(五一五頁)
「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」とは、法華経普賢菩薩勧発品第二十八の文で、「この人命終せば、千仏の手を授けて恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことをなす」と読む。意は、南無妙法蓮華経と唱へて臨終を迎えたものは、千仏が手を差しのべ、恐れる心をなくし、悪趣に堕ちないようにする、ということ。

二時間唱題を継続することは至難の修行です。しかし、難しい修行であればあるほど成し遂げた喜びも大きいものです。唱題を抜きにして他のことをしても意味がありません。唱題を根本にした修行に大きな功徳が具わります。呉々も勘違いのないように。仮りに、唱題を妨げるような姿があったならば「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」と反対の「堕悪趣」になります。

二時間唱題の継続は自己に打ち勝つことを意味します。自己の弱い心が、慢心や執着や嫉妬などになって表れて、唱題の修行を妨げようと働くのですから、唱題を継続することは自己の弱いことに打ち勝つ姿です。そして成し遂げたときには、一歩も二歩も前に進んだ自分があることに気づくことができるのです。

御法主日如上人が、本年二時間唱題を御指南下さるのは、私たちに、「自己の我が儘な心を正し、正直で素直な心をより鍛え、出陣式に臨みさらに未来広布の使命を果たしてゆこうではないか」という深い御慈悲であると拝します。

七月十六日まであとわずかになりました。異体同心の信心を確立し、大聖人様のもとに馳せ参じようではありませんか。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺