日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年6月7日 広布唱題会

顕立正意抄

〜 無疑曰信 〜

顕立正意抄(御書七五一頁)
文永一一年一二月一五日  五三歳

顕立正意抄 (新編御書七五一頁)

我が弟子等の中にも信心薄淡(しんじんうす)き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。その時我を恨むべからず等云々


 「顕立正意抄」は「けんりっしょういしょう」と読み、『立正安国論』の意を顕す、ということ。文永十一年(一二七四年)十二月十五日に御述作され門下一般に与えられたものである。日蓮大聖人御年五十三、身延において御執筆。

 『立正安国論』の意を顕すとは、『立正安国論』の中で指摘された「自界叛逆難」と「他国侵逼難」が現実のものとなったことを挙げられ、『立正安国論』がたんなる諌暁の書ではなく、仏の真実の言葉である、という意味が込められていると拝するものである。

 大聖人は文永十一年三月、佐渡から鎌倉に帰られ、同年四月平左衛門尉に対し、正法の信仰をしなければ蒙古は今年中に来襲するであろう断言され、三度目の折伏をされた。しかし、幕府は用いることはなかった。そこで、大聖人は日興上人の願いを聞き届けられ身延山に入られた。

 「自界叛逆難」とは、文永九年(一二七二年)二月十一日に起こった「二月騒動」といわれる鎌倉幕府内の内紛をいい、執権の北条時宗と、庶兄である北条時輔の対立に端を発したものである。この事件はやがて鎌倉幕府滅亡へとつながるものであった。

 幕府は、二月騒動が起こったことにより、大聖人が『立正安国論』の中で指摘されたことの一つが的中したことに恐れをなして、大聖人の御赦免をしたのである。

 また、「他国侵逼難」は文永十一年十月、蒙古が来襲し、壱岐と対馬の二箇国が奪われ、さらに九州に来襲したことをいう。当抄はその直後に顕されたもので、『立正安国論』の中で、「自界叛逆難」・「他国侵逼難」の二難の予言が的中したことを挙げて、大聖人の仰せを信じるならば仏に成ることが叶うであろうと法華経を引かれて信心を勧めておられる。

 さらに、『立正安国論』の中で仰せになれられたことが的中したことをもって、大聖人の仰せに背く日本国民は無間地獄に堕ちるであろうと断言され、正直で素直な信心を勧められる。

 拝読の箇所は、最後の部分に当たり、日蓮大聖人の弟子や信徒であっても、「信心薄淡(しんじんうす)き者」は無間地獄に堕ちると警告し、その時に悔いても遅いのである、と不自惜身命の信心を勧めて下さっているところである。

 いよいよ七万五千名の登山です。この登山に参詣することは、『立正安国論』の精神を我が身に呼び起こすことです。つまり、末法の御本仏日蓮大聖人様が『立正安国論』で、世界の平和、全人類の幸福を実現するための具体的な方法を実践する使命は我にあり、との思いをもって行動を起こすときである、ということです。

 自らの安穏を願うばかりでは真実の信仰ではありあせん。また、それでは自らの安穏も実現しません。周りの人たちのために行動を起こすとき、自らの幸福も確立します。

 佛乗寺法華講員の皆さま、未来広布の出陣式に勇気と慈悲の心を奮い立たせ、異体同心の信心をもって、一人残らず御法主日如上人のもとに馳せ参じようではありませんか。

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