日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年7月12日 御報恩御講拝読御書

種々御振舞御書

種々御振舞御書 (平成新編御書一〇五五頁)
建治二年  五五歳

種々御振舞御書 (御書一〇五五頁)

去ぬる文永五年後(のち)の正月十八日、西戎大蒙古国(さいじゅうだいもうここく)より日本国ををそうべきよし牒状(ちょうじょう)をわたす。日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申(たいさいかのえさる)に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ。此の書は白楽天(はくらくてん)が楽府(がふ)にも越へ、仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん


【通解】

去る文永五年(一二六八年)、閏年(うるうどし)の正月に、西方にある大蒙古国から、蒙古国に服従しないのであれば軍勢を送って征服する、という内容の国書が送られてきた。このことによって、日蓮が去る文応元年(一二六〇年)、太歳・庚申(たいさい・かのえさる)に、全ての経文を読みその意を深く思い合わせて執筆し、幕府に奏上した『立正安国論』の中で説き示したことが、八年後に少しも違わずに付合した。この事実からすれば、『立正安国論』は、唐の白楽天が、「新楽府」をもって時の政府を諫めたことよりも勝れ、釈尊が未来のことを説き示された経文にも劣らない重要な意味ある書なのである。末代には不思議なことが多くあるが、『立正安国論』で明らかにした以上の不思議なことはないであろう。


 この御文は『種々御振舞御書』の冒頭に示されるもので、『立正安国論』の意義を大聖人様御自らが明らかにされています。

「去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす」
とは、文永五年(一二六八年)一月十八日に届いたモンゴル帝国から幕府に対する国書のことです。この国書は、表面上は友好的な関係を結びたいという文面でしたが、末尾には、
「兵を用うるに至る、それ孰〔いづく〕んぞ好むところならん」
とあり、好むところではないが、いうことを聞かなければ軍隊を派遣するぞ、という隷属を求めた強引なものでした。ところが、この国書に対して幕府や朝廷は、寺社に命じて異国調伏の祈祷をさせるしか術のない有り様でした。

しかし、このような国外から侵略を受けることは、『立正安国論』の中で指摘した通りであり、寸分の違いもなく符合したではありませんか、というのが次の御文です。

「日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ」

つまり、他国侵逼という他の国から侵略を受ける難は、一二六八年よりさかのぼること八年、文応元年(一二六〇年)に顕された『立正安国論』の中で明確に指摘されたことなのです。『立正安国論』では、次の経文、「薬師経・大集経・仁王経」等を挙げて、「他国侵逼難」を明らかにされます。

「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ。所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり」 (御書 二四八頁)

つまり、薬師経や大集経や仁王経で説き示される種々の災難の中で、「他国侵逼難」と「自界叛逆難」はまだ表れていない、大聖人は指摘され、正法に帰依しないことが原因となって、三災七難が起こっているのであるから、このまま謗法の中にいたのでは残るところの難も必ず顕わてくる。だから、国民のためを思うのであれば、一刻も早く為政者である鎌倉幕府の執権が、正法に帰依することが肝心である、と諌暁をしたことが、八年後の文永五年にピッタリと付合したではないか、と仰せなのです。

八年も前に指摘したことが現前のものとなったことを挙げて、大聖人様は
「此の書は白楽天が楽府にも越へ、仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん」
と仰せになるのです。ここで大聖人様は、『立正安国論』は中国唐代の役人であった白楽天が、時の政府に対して「新楽府」を以って、政治を改めるように進言したことよりも勝れていると仰せになります。また、釈尊が未来のことを経文に記されていますがそれにも劣らないのが『立正安国論』である、と仰せです。

総本山二十六世日寛上人は「安国論愚記」でこの御文について次のように御指南下さっております。

一、この論首に居く事。
凡そこの論はこれ国主諌暁の書、兼讖差わざるの判なり。況や句法、玉を潤し、義勢地を霑す。故に師の自賛して云く「白楽天が楽府にも越え仏の未来記にもをとらず」と
此に三意あり。一には彼は前代に託して諷諭し、これは直に災難の起を示す。二には彼は其の言に用捨あり、此れは強言を以て暁諌す。三には彼は但世間政道の謬りを糺す。此れは現当の為に法謗の罪を糺す。豈楽府に勝るに非ずや。他国侵逼・自界叛逆の兼讖秋毫も差わず、寧ろ仏の未来記にも劣らざるに非ずや。この論首に居くこと誰かこれを疑うべけんや。


【安国論愚記の通解】

この『立正安国論』は国主諌暁の書であり、また予言したことが的中したことが明らかになる書である。(予言したのは大聖人。予言とは未来に起こるであろうと思うことを予め言葉や文字にして残しておくもの)

言葉は玉を潤し、道理は大地を霑している。したがって日蓮大聖人が御自賛されて曰わく、この『立正安国論』は、白楽天の楽府にも越え、仏の未来記にも劣ってはいない、と。

この仰せには三種類の意味が込められている。一つには、白楽天の楽府では、前代を例にして現代の誤りを指摘し、しかも言葉は婉曲である。一方、宗祖は災難の起こりは謗法にあると厳しく指摘をされる。二つめは、白楽天の言葉は控えめであり宗祖は強い言葉で核心をつかれている。三つ目は、白楽天は世間的な政治の誤りを問い確かめるのみであるが、宗祖は現世と来世のために、つまり一切衆生の成仏のために誤った教えを破折し正法に導くために『立正安国論』を顕された。これらの点から、白楽天の楽府に勝っているのである。さらに、他国侵逼難、自界叛逆難の予言が少しも違わずに現実のものとなったことは、仏が未来のことを説かれた経文にも劣らないものである。だから、『立正安国論』を大聖人の御書の中で最も大切なものであるというのである。

以上の日寛上人の御指南を私たちはよくよく心に留め、日蓮大聖人様のことを世間の人々に教えてゆくことが肝要であす。私たちの周りには、日蓮大聖人様を知っていながら知らない、という人ばかりです。日蓮大聖人様を南無妙法蓮華経のお題目を弘めた有り難いお坊さんだ、という認識しかありません。そのような人々に、「末法の御本仏日蓮大聖人」を教えることが折伏です。折伏は、「日蓮大聖人様を語ること」なのです。

皆さまは、日蓮大聖人様をどのように語っていますか。今日学んだ『種々御振舞御書』の意味を帰ってから、電話や手紙、あるいは直接訪問して、一言でも伝えることが「日蓮大聖人様のことを語る」修行であり、それが折伏なのです。

少し話がそれますが、最近の新聞に「ウィズ・エイジング」ということが紹介されておりました。御承知の方も多いと思いますが、よく使われる「アンチ・エイジング」の反対の意味だそうです。アンチ・エイジングは「老いを防ぐ」ことであり、ウィズ・エイジングは「歳と共に」、「歳相応に」という意味があるようです。顔のシワを気にして、大変だ、年寄り臭くて、とシワ取りクリームをベタベタ塗るか、シワをシワと受け入れて、シワに歴史があるのよ、と前向きに進むのとどちらが自分には合っていますか、ということかも知れませんね。

仏法の捉え方は、アンチエイジングではなくウィズエイジングであることはいうまでもありません。それは、「観心」という言葉を思い浮かべていただくとよく分かります。この観心について、大聖人様は
「観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり」(『観心本尊抄』御書六四六頁)
と仰せです。十方界とは仏界から地獄界までの十種の心です。自分の心の中に仏様と同じ尊く有り難い心もある。反対に、人の命を奪っても平然としている苦しみの心もある。全ては私たちの心の中にあるのだ、ということを知る人のことを仏というのである、とのお言葉です。つまり、全ての人が仏様になる可能性を秘めており、自身を変える必要などないのですよ、という教えが日蓮大聖人様の教えの根本なのです。

ただし、この教えは、深く広く、また高い教えです。ですから私たちの智慧では理解できません。経文に「唯佛與佛」と説かれているのはそのことです。そこで、智慧の浅い私たちのために毎朝毎晩手を合わせなさい、と「観心の御本尊様」を授与下さったのです。御法主上人が大聖人様からの御内証を以って、御書写下さった御本尊様に手を合わせ、南無妙法蓮華経と唱えることにより自己を知り、さらに周りを知ることが叶うのです。

アンチエイジングではなくウィズエイジングであることが少しご理解いただけたと思います。「桜梅桃李」の御書もありますように、これが日蓮大聖人様の教えです。ただし、難しい教えです。私たちには到底理解が出来ないかもしれません。それは、繰り返しますが「唯佛與佛」だからです。しかし心配は無用です。「信」があるからです。お経文には「汝等当信解」とあります。意味は、「貴方達よ、信じることによって理解できるのです」ということです。

信ずることによってのみ理解することの出来る教えですが、信じなくとも理解できることがあります。それは、文永五年の蒙古の来襲を八年も前の文応元年に言い当てられたことです。これは日蓮大聖人様を信じないに人であっても、日蓮大聖人様のことを容易に理解させることの出来る歴史上の事実です。これ以上分かりやすいことはありません。『立正安国論』はこのような意味がある書物なのです。

鎌倉の世に、私たちと同じ凡夫として出現された日蓮大聖人様。その日蓮大聖人様は『立正安国論』を顕され、八年も後の国の災難を的中させました。そのような日蓮大聖人様が教えて下さることですから、日蓮大聖人様のお言葉を信じて南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ幸せになることが出来る、と日蓮大聖人様の話をすることは立派な折伏なのです。折伏は難しいものではありません。なにも知らない方に、本当の姿を〈伝え・教え・導く〉喜びの修行なのです。

七月十六日は『立正安国論』が顕され、正義を顕揚されてより七百五十年目の佳節です。七月二十六日には総本山において未来へ出陣式が挙行されます。『立正安国論』の中で説き顕された、日蓮大聖人様の御精神を我が精神として、世界中の人々のために生きることの出来る自分になろう、と決意し行動を起こす意義が込められています。

御法主上人の御指南のままに、使命を自覚し進む私たちに御本仏日蓮大聖人様より、多くのお誉めのお言葉を頂けると確信し、暑さに負けないで精進を重ねましょう。

以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺