日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年7月25・26日

『立正安国論』正義顕揚七百五十年大結集総会に参加される
佛乗寺法華講員の皆さまへ

宗祖日蓮大聖人『安国論奧書』に曰(のたま)わく
「此の書は徴(しるし)有る文なり」(御書四百二十頁)

「此の書」とは『立正安国論』のことを指します。「徴」とは、あらわれる、明らかになる、明らかにする等の意です。また、小さい物で全体を代表させる意もあります。ゆえに、『立正安国論』の内容は、日蓮大聖人様の御教えの全体を明らかにされたものであることを銘記しなくてはなりません。

 日寛上人も、
「この論首(はじめ)に居くこと誰かこれを疑うべけんや」『安国論愚記』
と述べられ、『立正安国論』を日蓮大聖人様の最も大切な御書であることを皆が認めている、と御指南下さっている通りです。

 本年は、日蓮大聖人様の最も大切な御教え『立正安国論』が明らかにされて七百五十年の節目です。そして、皆さまは、記念の年に開催される日蓮正宗はじまって以来の、七万五千名大結集総会に参加すべく勇躍総本山を目指しておられます。そこで思いますことは、次の八百年の節目に巡り会うことのできる方がどの位いらっしゃるか、ということです。十代二十代の方は大いに可能性があります。三十代になると少し不安になり四十代を超えると、生まれ変わって違う立場での参加になるでしょう。仮りに、八百年の節目を元気で迎えることが出来たなら、七百五十年のことを後輩たちに教えてください。そのために、五感をとぎすまして今回の慶事を吸収して信心の栄養源としてください。そのことにより、豊かな精神と健康な肉体を得ることが出来ます。豊かな精神と健康な肉体こそ混沌した二十一世紀をリードする人材の第一条件です。『立正安国論』の精神で鍛えられたのですから、第一の中でも特に第一であることは間違いありません。また、寿命が尽きても心配はありません。御承知のように私たちの命は三世常住です。ですから、この慶事に参加したことは、表面の心では忘れていますが、奥底の心には大きな歓びとして間違いなく秘蔵されているのです。その「歓喜の中の大歓喜」は、来世の私たちの最大のエネルギー源となります。まさに「臨終のことを習ってから他のことを習いなさい」との御教えを実践しているのです。ご安心下さい。

 申すまでもなく、日蓮正宗富士大石寺の僧俗は、大聖人様よりの血脈を御所持遊ばされる代々の御法主上人のもとで、『立正安国論』の精神を一時も忘れることなく七百五十年の間守り伝えてまいりました。

 歴史を紐解くと、江戸時代のように、改宗が禁止され、折伏弘教のできない時代もありました。また第二次世界大戦前のように、国家が信仰に介入し信教の自由が名ばかりの時もありました。さらに、この五十年を振り返ると、大聖人様の教えが世界中に弘まり、未来広布に希望が開けたと思える一瞬もあったように思います。しかし、時至らずでありました。その原因に思いをいたすと、御本仏日蓮大聖人様の教えを中心としたものではなく、一人の誤った者の考えで広宣流布を推し進めようとした結果、十四誹謗の第一に上げられる きょう慢謗法(きょうまんほうぼう)に陥り、脆くも崩壊したことは、未来広布に向かって出陣する私たち法華講衆が他山の石とすべきものであると思います。

 この度の大結集は、「未来広布への出陣式」と御法主日如上人が御指南されます。ゆえに、そこに参詣する私たちは、謗法と闘い、魔を打ち破る広布の偉大な戦士です。広布への使命を燃え立たせ、自身の成仏と周りの方々の成仏のために共どもに精進をいたしましょう。

 最後に申し上げます。今回の御登山は特別の御登山です。車中や休息所ばかりではなく互いに譲り合い、助け合って、「異体同心」の振る舞いに徹し、「自行化他」の修行であることを忘れてはなりません。長い時間であり、暑い最中でもあります。ご苦労をおかけしますが、仮りに、「大儀だな」と思うようなことがあったなら、アフリカや南米から御登山される海外メンバーのことを思ってください。総本山に到着するまでに48時間かかります。多くのメンバーは一生に一回の登山です。ですから、一分一秒でも長く大御本尊様のもとで過ごしたい、と願っての御登山です。不満や不平は凡夫の常ですが、その煩悩を覚りに代えることが南無妙法蓮華経のお題目です。先ず心でお題目を唱へましょう。そうすれば、常寂光の都が出現します。

 『立正安国論』に曰わく
「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」(御書二百五十頁)

 心を一つにして、御法主上人の御指南を拝し、精鋭の誇りと自覚を持って進んでまいりましょう。皆さまのご健闘をお祈り申し上げます

以上
  平成二十一年七月二十六日
佛乗寺 住職
皆さまへ

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