日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年8月9日 御報恩御講拝読御書

千日尼御返事

千日尼御返事 (平成新編御書一四七八頁)
弘安三年七月二日  五九歳

千日尼御返事 (御書一四七八頁)

其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし


【通解】

子の藤九郎守綱は、親である阿仏房の信仰を受け継ぎ、純粋な法華経の信仰者となって、昨年の七月二日には父の遺骨を首にかけて、佐渡の島から山を越え海を渡ってはるばると日蓮の住している甲州の身延まで登山をし、法華経の道場に父の遺骨を納め、今年は七月一日に身延に登山をして慈父の墓参りをされました。日蓮はこの藤九郎守綱の姿を見て、子供以上の宝物はない、子供以上の宝物はない、とつくづく思っています。


【拝読のポイント】

阿仏房と千日尼は佐渡の島の信徒です。夫妻は大聖人様が文永八年十月に佐渡御流罪になった直後に入信したと思われます。佐渡の島も当時の他の国々と同じように念仏が盛んに信じられておりました。「○○房」といえば今日では僧侶の呼び名ですが、当時の習わしとして、ある程度の地位にある人が、年を取ると頭を剃り法衣を着て僧侶と同じ姿になることが少なくありませんでした。阿仏房もそのような例の一つです。阿仏房という名前は、「阿弥陀仏の信仰をする者」という意味があるように思われますので、大変な念仏信仰者であったと想像いたします。

しかし、日蓮大聖人様の正法正義を拝し、たちまち念仏の信仰を改めて夫婦そろって南無妙法蓮華経と唱えるようになったのです。鎌倉時代の佐渡の島で改宗をすることは勇気のいることだったと思います。しかも日蓮大聖人様は、流罪という仕置きで佐渡にお出ましになったのですから尚更でしょう。

周囲の反対を押し切り、夫妻で信仰をすることは、命懸けでした。千日尼と呼ばれるようになったのは、一説には大聖人様が佐渡滞在中の足掛け四年、約九〇〇日の間、一日も欠かさずに参詣をされたからであるといわれるほどです。さらに、
『千日尼御前御返事』には、
「地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそいて、かよう人をあるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつをしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ」 (一二五三頁)
とあります。大聖人様が夫妻の信心を、佐渡の島の地頭達や念仏者達が、日蓮の庵室の周囲に一日中立って見張りをし、もし日蓮の所へ訪ねてくる人がいたならば捕えようとしていた。そのような中にあっても、夜中に阿仏房が背中に櫃(ひつ)を背負って、千日尼と共に渡ってきたことを、生まれ変わった後も忘れることはありません、と仰せ下さるものです。

この御文から、阿仏房夫妻の信仰心が明らかです。命懸けで大聖人様にお給仕をしていた両親の跡を継ぎ、今度は子供の藤九郎守綱が日蓮大聖人様の信仰をするのでありますから、父の阿仏房、母親の千日尼に取ってこれ以上の歓びはないといえます。そこで、
「子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし」
と仰せになられるのです。『崇峻天皇御書』には、「財」について次のように示されております。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」 (1173頁)
と。世界中の宝物を集めるよりも、心の財、つまり南無妙法蓮華経とお題目を唱へ、折伏をすることが最も大切な宝物なのである、という御文です。つまり、現世的な、物質的な宝物は真の財ではない、ということであり、来世に通じる宝物とはどのようなものかを三世を生きる私たちに教えて下さるものなのです。故に、自らの信仰を受け継いでさらに発展させてくれることは、この上もない貴いことであり、それを実践する子供は最高の宝物である、ということなのです。

『妙法比丘尼御返事』では、
「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」 (一四八二頁)
と示されます。これは、あなたはあなたの来世をどうしたいのですか、という問い掛けでもあります。漫然と与えられた日々を過ごすのではなく、来世のことを念頭に置き、南無妙法蓮華経と生きることが「心の財」を積むことになり、そしてそのことで「子は最高の財」に育つのだといえます。

子供といっても血縁関係だけの狭いものを指すのではない、ということも考えておかなくてはなりません。本宗では古来折伏した人を教化親(きょうけおや)ともいいます。当然折伏された人は子供になります。したがって、多くの子供(折伏した人)がいて、教化親がしたように折伏に励むのであれば、それもまた「子にすぎたる財」となることは仏法の筋道の上から申すまでもないことです。

三世の生命の上から、大聖人様のこの仰せを心に留め、私たちにとって、世界中で最も大切な宝物は何か、ということを考えましょう。そして、目の前にある宝物を見失うことの無いようにしようではありませんか。いま見えている財は、まだ原石の状態である場合が多いかも知れません。原石を磨くのは世法では親であり仏法では教化親です。原石もご信心を第一に磨くことにより、やがては光り輝く玉となります。これこそ三世に崩れない財なのです。

目先のことに一喜一憂することなく、過去・現在・未来の三世に立った生き方であれ、というお言葉が本日拝読の御文であると思います。暑い中ではありますが、いつまでも暑い日は続きません。涼しくなる時が必ずまいります。それを思い暑い夏を乗り切ってまいりましょう。

以上

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